4世紀まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 10:02 UTC 版)
45年、ギリシア人のヒッパロスが、インド洋西域に吹く季節風が半年交代で南北の方向に出現することを発見したことによって、アフリカの産物についてのインド洋交易が開始された。このころ、アレクサンドリアの無名ギリシア人がエリュトゥラー海案内記という、インド洋航海と交易の案内書を記した。この書には、ハフーン岬からキルワ、ソファラまでの全海岸がアザニアー(非アラブの土地)であったとしている。このころザンジバルやペンバ島には海賊が住んでおり支配力を持っていたが、アラビア西岸で勃興した国と関係を持ち、原住民とアラブ商人との間の仲介をしていたという。 ダウと呼ばれる三角帆を装備した船に乗って、中国産の陶磁器、インド産の香辛料やビーズ、栽培植物などを持ち込んだ商人たちは、それをマングローブ材、亀甲、象牙、龍涎香、貴金属、犀角、奴隷などにかえられアジア、インド、アラブ諸国に運び出された。こうしたダウ船交易はスマトラやジャワからインドネシア系の人々が移住したマダガスカルまで広がっていたと考えられている。 また2世紀にはバンツー諸民族が、アフリカ東海岸に到着し定住を始めたとされる。
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