ローマ教会の内紛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:01 UTC 版)
「ロタール3世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「ローマ教会の内紛」の解説
ローマ教会でも、その主導権をめぐる権力闘争が激化していた。1130年、教皇ホノリウス2世の死去に伴い、インノケンティウス2世とアナクレトゥス2世の2人がローマ教皇を称した。いわゆるシスマと呼ばれる状況である。こうした中、インノケンティウス2世はロタール3世に接近し、これに対抗したアナクレトゥス2世はシチリア伯ルッジェーロ2世に接近することとなった。1130年にアナクレトゥス2世はルッジェーロ2世の王位を認めたが、これをもってシチリア王国の成立とみなされる。 1133年6月4日、ラテラノ教会でインノケンティウス2世からロタール3世は皇帝の冠を受けた。その際、帝国内の教会について皇帝が一定の影響力を行使できることを確認させている。こうしたローマ教皇の妥協はロタール3世を用いて、対立教皇アナクレトゥス2世と両シチリア王国の打倒を目論んだことが大きい。
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