ローマ教皇レオ10世からの依頼とタペストリ
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「ラファエロのカルトン」の記事における「ローマ教皇レオ10世からの依頼とタペストリ」の解説
ラファエロは、ラファエロ自身を忌み嫌っていたミケランジェロが1512年に完成させた『システィーナ礼拝堂天井画』に大きな興味を示し、ミケランジェロの絵画作品としては最大規模で複雑に構成されたデザインに強い関心を持っていた。ローマ教皇レオ10世の当初の構想では、16点のタペストリが制作される予定だった。レオ10世からタペストリのカルトン制作を命じられたラファエロは、1515年6月と1516年12月の二回に分けて代金を受け取っている。1516年の代金受け取りは、おそらくカルトンの完成に伴う最終的なものと考えられる。ゴシック後期までタペストリはもっとも優れた芸術作品と見なされており、ルネサンス期になっても、タペストリの芸術的価値は高く評価されていた。タペストリの制作費用は非常に高額なもので、そのほとんどが手作業による織上げ費用だった。このシスティーナ礼拝堂のタペストリの場合にも、カルトンを描いたラファエロに支払われた代金は1,000ダカットだったのに対し、タペストリに織り上げたブリュッセルの工房には15,000ダカットの代金が支払われている。 このカルトンは、もとは何枚もの紙を張り合わせた台紙にテンペラで描かれていたものだったが、現在ではキャンバスで裏打ちされている。どのカルトンも縦は3mをわずかに超え、横は作品によって3mから5mという大規模な作品になっており、描かれている人物像も実物大以上の大きさで表現されている。退色している箇所も見受けられるものの、保存状態は全体的に非常に良好である。完成したタペストリはカルトンと左右が逆になっているほか、ラファエロが意図したデザインどおりには、必ずしも織り上げられてはいない。このカルトンの制作には、ラファエロが率いていた工房も大きな役割を果たした。工房の画家たちは非常に丁寧にカルトンを仕上げており、タペストリでは表現できない繊細な色使いまでも駆使している。『ラファエロのカルトン』以外にもシスティーナ礼拝堂のタペストリ製作のために描かれた小規模な下絵用ドローイングが現存しており、ロイヤル・コレクションには『エリマスの失明』の習作が、カリフォルニアのゲティ美術館には『衣服を引き裂く聖パウロ』の習作がそれぞれ所蔵されている。これらの習作のほかにも多くのドローイングが制作されたと考えられるが、ほとんどが現存していない。 現存している7点のカルトンはおそらく1516年に完成し、ブリュッセルにあったヴァチカンお抱えのタペストリ職人ピーテル・ファン・アールストの工房へと送られた。本来の目的であるシスティーナ礼拝堂のタペストリとは別に、後年このカルトンをもとにした数点のタペストリが制作されている。これらのタペストリの中には、1542年にイングランド王ヘンリー8世が注文したタペストリや、ほぼ同時期にフランス王フランソワ1世が注文したタペストリなどがある。カルトンは完成したタペストリと同時に返却されることもあったが、これら後年に制作されたタペストリの存在から『ラファエロのカルトン』はヴァチカンには返却されていないことが分かる。完成したタペストリには同じくラファエロのデザインによる、古代ローマの彫刻や飾り石などを模した精緻な縁飾りが施されているが、『ラファエロのカルトン』にはこの縁飾りは描かれておらず、おそらくは縁飾り専用のカルトンが別に存在していたと考えられている。タペストリには金糸、銀糸が使用されており、なかには後年になって貴金属を集める目的で兵士によって溶解された箇所もある。完成した最初のタペストリがヴァチカンに引き渡されたのは1517年のことで、1519年のクリスマスに7点のタペストリがシスティーナ礼拝堂に飾られた。これ以降、現在に至るまで『ラファエロのカルトン』から制作されたタペストリがシスティーナ礼拝堂に飾られるのは、特別な儀典のときのみに限られている。 ラファエロは、タペストリが織物職人の手によって全く別の素材で仕上げられるために、必ずしも自身のデザイン通りには完成しないことを理解していた。しかしながらラファエロがデザインしたカルトンはタペストリ用に簡略化したものなどではなく、力強い構成と訴求力を持つ作品単体としても通用するものだった。このラファエロの努力は、版画として再現されたカルトンでより効果的に表現されている。『ラファエロのカルトン』はバロック初期の芸術家系カラッチ一族に賞賛されていたが、もっともその影響力が強くなったのは16世紀のバロック期のフランス人画家ニコラ・プッサン以降といえる。プッサンは『ラファエロのカルトン』から多くを借用した作品を描き「ラファエロの作風を誇張し、『ラファエロのカルトン』を縮小したような作品を描き続けることに熱中した」といわれている。
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