ラファエロ【Raffaello Santi/Raffaello Sanzio】
ラファエロ・サンティ
(ラファエロ から転送)
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ラファエロ・サンティ(伊: Raffaello Santi[注釈 1]、 1483年4月6日 - 1520年4月6日[2])は、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家。一般的には単にラファエロと呼ばれ、日本ではラファエッロ、ラファエルロ、ラファエルなどという表記のゆれが見られる。イギリスではラファエルと呼ばれるのが一般的である。
注釈
- ^ 「ラファエロ・ダ・ウルビーノ」(Raffaello da Urbino)、「ラファエロ・サンツィオ・ダ・ウルビーノ (Rafael Sanzio da Urbino)」などとも表記される。「サンティ」もラテン語表記の「サンティウス (Santius)」と表記されることがある。また、ラファエロ自身が書類などに署名する際にはラテン語の「ラファエル・ウルビナス (Raphael Urbinas)」を使用していた [1]。
- ^ ユリウス2世はとくに読書家というわけではなかった。その死後に残された書籍は220冊で、当時としてはそれなりの蔵書数だったが専用の図書室が必要なものではなかった。壁に書架もなかったこの専用図書館名は1527年のローマ略奪で破壊されてしまった [33]。
- ^ 「イル・バヴィエラ (Il Baviera)」は「バイエルン人 (the Bavarian)」を意味すると考えられる。当時のローマにはドイツ出身の画家も多く、もしカロッチもドイツ出身だったとすれば、1527年のローマ略奪時にマルカントニオから多くの版画原版の銅板を奪ったことの説明になりうる。[71]。
- ^ マルガリータ・ルティの肖像画と考えられている『ラ・フォルナリーナ』には左胸に右手を添えた女性が描かれている。美術史家や研究者のなかには、このポーズは愛情を表す古典的なポーズを装っているが、ルティが乳がんに罹患しており胸部に腫瘍があることを表現しているのだと考える者もいる[75]。
- ^ 多くの美術史家や研究者がヴァザーリが記録しているこの死因を否定している。17世紀から18世紀のイタリア人医師ベルナルディーノ・ラマツィーニは1700年の著書『働く人の病 (De morbis artificum)』で、当時の画家たちが「座り続ける暮らしを送っており、その結果うつ病になる」ことがよくあり「水銀や鉛が含まれた絵具」を使用していたために短命だったとし、1915年にブファラーレは「肺炎か腸チフス」、ポルティグリオッティは「肺疾患」、ヨアニデスは「働きすぎによる過労」だったとしている。またラファエロが死去した年齢にも複数の説があり、ラファエロと同時代のイタリア人貴族マルカントニオ・ミヒル (en:Marcantonio Michiel) は34歳、パンドルフォ・ピコやジローラモ・リッポマーノは33歳説をそれぞれ唱えている[76]。
- ^ イギリス Amazon で「ルネサンス」関連のベストセラー上位25冊のうち、タイトルに入っている名前としてはレオナルドが5冊、ミケランジェロが3冊、そしてラファエロが1冊となっている[86]。
出典
- ^ Gould p.207
- ^ Jones and Penny, p. 1 and 246. ラファエロは37歳の誕生日に死去した。複数の記録によれば、ラファエロは生誕日、死去日はどちらも聖金曜日となっているためだが、異説もある。
- ^ See, for example Honour, Hugh; John Fleming (1982). A World History of Art. London: Macmillan. p. 357
- ^ Vasari, p. 208, 230 and passim.
- ^ Urbino: The Story of a Renaissance City By June Osborne, p.39 on the population, as a "few thousand" at most; even today it is only 15,000 without the students of the University
- ^ Jones and Penny, pp. 1 - 2
- ^ Vasari:p. 207 & passim
- ^ Jones & Penny:204
- ^ Vasari, at the start of the Life. Jones & Penny:5
- ^ アシュモレアン博物館 “Image”. z.about.com. 2007年12月2日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年8月15日閲覧。
- ^ Jones and Penny: pp. 4 - 5, p. 8 and 20
- ^ Simone Fornari in 1549-50, see Gould:207
- ^ Jones & Penny:8
- ^ Jones & Penny:2-5
- ^ contrasting him with Leonardo and Michelangelo in this respect. Wölfflin:73
- ^ ミシェル・フイエ『イタリア美術』文庫クセジュ、白水社、2012年、60頁。
- ^ Jones and Penny:17
- ^ 1789年の地震で大きな損傷を受けた。
- ^ Dates are taken from the Vatican Pinacotheca website
- ^ Jones and Penny:pp. 5 - 8
- ^ One surviving preparatory drawing appears to be mostly by Raphael; quotation from Vasari by - Jones and Penny:p. 20
- ^ “Image”. szepmuveszeti.hu. 2012年8月16日閲覧。
- ^ Gould:207-8
- ^ Jones and Penny:5
- ^ National Gallery, London Jones & Penny:p. 44
- ^ Jones & Penny:21-45
- ^ Vasari, Michelangelo:251
- ^ Jones and Penny:p. 43
- ^ Jones & Penny:44-47, and Wöllflin:79-82
- ^ The Royal Collection. “Gold ring with an onyx cameo of Ariadne”. royalcollection.org.uk. 2010年8月26日閲覧。
- ^ Jones & Penny:49, differing somewhat from Gould:208 on the timing of his arrival
- ^ Vasari:247
- ^ Jones & Penny:4952
- ^ Jones & Penny:49
- ^ Jones & Penny:49-128
- ^ Following The School of Athens, "Who is Who?" Archived 2006年7月15日, at the Wayback Machine. by Michael Lahanas
- ^ Jones & Penny:101-105
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- ^ Levey, Michael; Early Renaissance, p.197 ,1967, Penguin
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- ^ Jones & Penny:pp. 192 - 197
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- ^ Craig Hugh Smyth, Mannerism & Maniera, 1992, IRSA Vienna, ISBN 3-900731-33-0
- ^ Jones and Penny:pp. 146 - 147, 196-197, and Pon:pp. 82 - 85
- ^ Jones and Penny:p. 147, 196
- ^ Vasari, Life of Polidoro online in English Maturino for one is never heard of again
- ^ Vasari:p. 207, 231
- ^ See for example, the en:Raphael Cartoons
- ^ Jones & Penny:pp. 163 - 167 and passim.
- ^ The direct transmission of training can be traced to some surprising figures, including Brian Eno, Tom Phillips and Frank Auerbach (Tomphillips.co.uk)
- ^ Vasari (full text in Italian) pp197-8 & passim; see also Getty Union Artist Name List entries
- ^ Jones & Penny:pp. 215 - 218
- ^ Jones & Penny:pp. 210 - 211
- ^ Jones & Penny:pp. 221 - 222
- ^ Jones & Penny:p. 219 - 220
- ^ Jones and Penny:p. 226 - 234; Raphael left a long letter describing his intentions to the Cardinal, reprinted in full on pp.247 - 248.
- ^ Jones & Penny:pp. 224(quotation) - 226
- ^ Jones & Penny:205 The letter may date from 1519, or before his appointment
- ^ GB Armenini (1533-1609) De vera precetti della pittura(1587), quoted Pon:p. 115
- ^ Jones & Penny:p. 58 & ff; 400 from Pon:p. 114
- ^ Ludovico Dolce (1508-68), from his L'Aretino of 1557, quoted Pon:p. 114
- ^ quoted Pon:p. 114, from lecture on The Organization of Raphael's Workshop, pub. Chicago, 1983
- ^ Not surprisingly, photographs do not show these well, if at all. Leonardo sometimes used a blind stylus to outline his final choice from a tangle of different outlines in the same drawing. Pon:pp. 106-110.
- ^ Lucy Whitaker, Martin Clayton, The Art of Italy in the Royal Collection; Renaissance and Baroque, p.84, Royal Collection Publications, 2007, ISBN 978-1-902163-29-1
- ^ Pon:p. 104
- ^ National Galleries of Scotland
- ^ Pon:102. See also a lengthy analysis in: Landau:118 ff
- ^ The enigmatic relationship is discussed at length by both Landau and Pon in her Chapters 3 and 4.
- ^ Pon:86-87 lists them
- ^ Jones and Penny:82, see also Vasari
- ^ Pon:pp. 95 - 136 & passim; Landau:pp. 118 - 160, and passim
- ^ “Lucretia”. メトロポリタン美術館. 2010年8月26日閲覧。
- ^ a b Vasari:pp. 230 - 231
- ^ "The Portrait of Breast Cancer and Raphael's La Fornarina", The Lancet, December 21, 2002/December 28, 2002.
- ^ Shearman:p. 573.
- ^ Vasari:p. 231
- ^ André Chastel, Italian Art,p. 230, 1963, Faber
- ^ Walter Friedländer, Mannerism and Anti-Mannerism in Italian Painting, p. 42 (Schocken 1970 edn.), 1957, Columbia UP
- ^ Blunt:76
- ^ See Jones & Penny:pp. 102 - 104
- ^ The 1772 Discourse Online text of Reynold's Discourses The whole passage is worth reading.
- ^ Wölfflin:p.82,
- ^ Ruskin, Pre-Raphaelitism, S. 127 online at Project Gutenburg
- ^ Berenson, Bernard, Italian Painters of the renaissance, Vol 2 Florentine and Central Italian Schools, Phaidon 1952 (refs to 1968 edn), p.94
- ^ “Bestsellers in Renaissance”. Amazon.com. 2010年8月26日閲覧。
ラファエロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/04/10 06:34 UTC 版)
本作中での諸悪の元凶ともいえる存在で、定型を持たずあらゆる生き物を食いつくし異様に成長する。
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ラファエロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/22 05:02 UTC 版)
画面左のカーペットの縁取りには、黄道十二星座のメダイヨンとともに、アングルが最も称賛した画家ラファエロ・サンティ作の『小椅子の聖母』模様のメダイヨンもある。 アングルは、『子どもと遊ぶアンリ4世』や『ラファエロとラ・フォルナリーナ』など自分の作品の背景に、また『リヴィエール氏の肖像』のようにモデルの前のテーブルに、この作品を取り入れることでラファエロに敬意を表している。
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ラファエロ(イメージカラーは■レッド、Raphael)
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「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ」の記事における「ラファエロ(イメージカラーは■レッド、Raphael)」の解説
タートルズの一人で、釵(サイ)の達人。赤い鉢巻を巻いている。愛称は「ラファちゃん」または「ラフ、ラファ(Raph)」。名前はルネサンスの巨匠ラファエロ・サンティに由来する。
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ラファエロ
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「ルネサンス期のイタリア絵画」の記事における「ラファエロ」の解説
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、ラファエロは盛期ルネサンスの代名詞といえる大芸術家である。ただし、ラファエロが生まれたのはミケランジェロよりも18年、レオナルドよりも30年近く後になってからである。ラファエロの絵画作品はレオナルドやミケランジェロほどには革新的であるとはいえない。むしろ、それまでのルネサンス期に他の巨匠たちが革新した絵画様式をまとめ上げ、一つの到達点を極めた芸術家であるといえる。 ラファエロはウルビーノ公爵家の宮廷画家ジョヴァンニ・サンティ (en:Giovanni Santi) の息子として生まれた。このため、小貴族階級の出身だったミケランジェロとは違って、ラファエロが芸術家の道に進むことに障害はなかった。父親の死後数年間、当時の優れた画家で高度な技術を持っていたペルジーノの工房で弟子として修行をしている。署名と制作年度が残るラファエロの最初期の作品は21歳のときの『聖母の結婚』(1504年、ブレラ絵画館(ミラノ))で、師ペルジーノの作品『聖ペテロへの天国の鍵の授与』の構成や、背景に描かれた建物などがよく似ている。 ラファエロは楽天的な性格で、同時代に名声を得ていたほかの芸術家たちの技法を真似ることに抵抗がなかった。このためラファエロの絵画には様々な画家からの影響が見られ、ペルジーノの丸みを帯びた外観と輝くような色彩感覚、ギルランダイオの生き写しの肖像、レオナルドの写実性と明暗表現、ミケランジェロの力強い人物造形が、ラファエロの作品に渾然一体となって表現されている。ラファエロは37歳の若さで夭折したが、多くの祭壇画、海のニンフを描いたフレスコ画『ガラテア』(en:Galatea (Raphael))(1513年、ビラ・ファルネジーナ)、二人のローマ教皇の肖像画、『アテナイの学堂』(1509年 - 1510年)を始めとするヴァチカン宮殿ラファエロの間のフレスコ絵画群など、美術史上、ルネサンス史上、非常に重要な作品を多く残した芸術家である。 『アテナイの学堂』は、レオナルド・ダ・ヴィンチをモデルとしたといわれる哲学者プラトンを中心に、一堂に会した古代ギリシアの哲学者たちを古典的な様式で描いた作品である。画面中央手前で石のブロックに肘をついている陰気なヘラクレイトスはミケランジェロがモデルで、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画に描かれた預言者エレミヤを模している。ラファエロ自身の自画像も、師のペルジーノをモデルとしたプロトゲネスとともに描かれている。 しかしながら、ラファエロの名前をもっとも有名なものとしているのは前述のような大作ではなく、聖母子を描いたフィレンツェ風の小規模な作品群である。ラファエロは、豊麗で穏やかな表情をした金髪の聖母マリアと丸々と太った幼児キリストの絵画を繰り返し描いた。これらの作品の中でおそらく最も有名なのが、聖母子と幼い洗礼者ヨハネを描いた通称『美しき女庭師』(1507年、ルーヴル美術館(パリ))である。265 cm × 196 cm の『システィーナの聖母』(1513年 - 1514年頃、アルテ・マイスター絵画館(ドレスデン))は、122 cm × 80 cm の『美しき女庭師』の縦横2倍程度の絵画で、ステンド・グラスのデザインとして数え切れないくらいに使用された作品である。また、『システィーナの聖母』の画面下部に描かれている頬杖をついた二体の幼い天使のイメージは、現在でも紙ナプキンから傘にいたるまで、さまざまな商品に使用され続けている。
※この「ラファエロ」の解説は、「ルネサンス期のイタリア絵画」の解説の一部です。
「ラファエロ」を含む「ルネサンス期のイタリア絵画」の記事については、「ルネサンス期のイタリア絵画」の概要を参照ください。
ラファエロ(Raphael)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 23:47 UTC 版)
「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ (2003年のアニメ)」の記事における「ラファエロ(Raphael)」の解説
一人称は「俺」。1987年版と比べると非常にワイルドであり、口が悪く短気な性格をしている。その一方で、仲間内に限らず他者への思いやりはとても深く面倒見が良い。正義感が強く我の強い性格から、リーダーに当たるレオナルドとは対立することがあるが、互いに信頼し合う相手でもある。また、口には出さないがスプリンターを父として深く尊敬している。
※この「ラファエロ(Raphael)」の解説は、「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ (2003年のアニメ)」の解説の一部です。
「ラファエロ(Raphael)」を含む「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ (2003年のアニメ)」の記事については、「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ (2003年のアニメ)」の概要を参照ください。
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