ラファエロ・サンティ
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評価
作品自体の影響力こそミケランジェロに及ばなかったものの、ラファエロは同時代人から高く崇敬されていた。しかしながら、ラファエロの死後主流となった芸術様式のマニエリスム様式とその後のバロック様式は、ラファエロの芸術とは「正反対の方向へと向かって」いった[78]。ドイツ人美術史家ワルター・フリートレンダー (en:Walter Friedländer) は「ラファエロの死とともに古典主義たる盛期ルネサンスは衰退し始めた」としている[79]。そしてラファエロは、行き過ぎたマニエリスムを嫌う人々にとって理想の存在であるとみなされるようになっていった。
16世紀半ばにはラファエロが、理想的にバランスの取れた画家であるという意見が主流となった。万能ともいえるその才能はすべてが完璧で、芸術を統べるあらゆる規範に忠実だった。ラファエロに比べるとミケランジェロは偏った天才といえる。男性の裸身像など特有の分野においてミケランジェロは他者の追随を許さないが、バランスに欠けるところがあり、優雅さや抑制感といった優れた芸術の真髄ともいえる部分がわずかに欠如している。このような感覚はルドヴィコ・ドルチェやピエトロ・アレティーノのようなルネサンス人文主義を遵守し続けたものにのみ備わっているものであり、マニエリスムへと移行したミケランジェロには理解できない資質だった[80]。
ヴァザーリがもっとも尊敬する芸術家はミケランジェロだったが、有害な影響を与える点も見られるとして、賛美一方だった初版とは違って『画家・彫刻家・建築家列伝』の第二版では、ミケランジェロに否定的な記述を追加している[81]。
ラファエロの作品構成は高く評価、模倣され、後世の芸術アカデミーにおける教育の礎となった。ラファエロの作品がもっとも大きく絵画界に影響を及ぼしたのは、17世紀後半から19世紀にかけてで、その完璧な様式美とバランス感覚が極めて高く評価され、芸術作品分野の優劣を意味するジャンルのヒエラルキー (en:hierarchy of genres) で最高位を占める歴史画分野の第一人者と目された。ロココ期のイギリス人画家ジョシュア・レイノルズは著書『講話』でラファエロの作品は「明快かつ厳粛で、威厳ある品格」で「最高の画家であり他者の追随を許さない」とし、とくに『ラファエロのカルトン』やフレスコ壁画を高く評価している。
この類まれなる才能を持った人物(ラファエロ)は、礼節、美徳、威厳ある人格で、入念に計算された作品構成、正確極まりないドローイング、高い審美眼を備え、さらに他者の構想を理解し自身の芸術として昇華する優れた技量を有していた。これらの観点においてラファエロを凌ぐ芸術家は存在せず、自身が持つ万物に対する観察眼とミケランジェロが持つ力強さ、さらには古代芸術の美しさと簡素さとを融合させることが可能だった。最高の画家はラファエロかミケランジェロのどちらであるかという問いには、次のように答えられる。ラファエロは他の誰よりも芸術におけるあらゆる才能を極めて高い水準でまとめ上げた人物であり、疑問の余地無くラファエロが最高の画家といえる。ただし、ロンギヌス (en:Longinus (literature)) の著書『崇高について』によれば、人間が持ち得る最高級の才能は他の美点、才能の欠如という犠牲のうえに成り立つものだとされている。この観点からすると、ミケランジェロのほうが優れていると考えることもできるだろう[82]。
レイノルズはラファエロのフレスコ画を高く評価し、板絵には僅かな感傷的見解以外にあまり興味を示さなかったが、19世紀になってからこれらの板絵が高く評価されるようになった。ラファエロが聖母マリアを描いた作品群について1864年生まれのスイス人美術史家ハインリヒ・ヴェルフリンが「世界中のどの芸術家よりもこのようなラファエロの作品は大量に再生産され、誰もが子供の頃からラファエロの絵画に慣れ親しむようになった」と述べている[83]。
19世紀イングランドのラファエロ前派の芸術家たちは、ラファエロの作品とラファエロを賞賛するレイノルズらを明確に否定し、ラファエロの「悪影響」が及ばない時代の芸術作品を模範とした。この思想に大きな影響を与えていたのは19世紀の美術評論家ジョン・ラスキンである。
西洋芸術の破滅はその部屋(ヴァチカン宮殿ラファエロの間の「署名の間」を指す)から始っており、いわば非常に優れた才能の持ち主がこの衰退をもたらしたといえる。ラファエロと、その同時代の優れた芸術家たちの作品の完璧な出来栄えと美しさは、それ以上のあらゆる芸術活動を停滞させてしまった。彼ら以降の芸術は思考ではなく模倣を、精緻さよりも美しさを追い求めることしかできなくなった。
芸術の衰退の原因としてさらに二つの理由があげられる。一つ目は精神的な問題である。このことを心に刻んでもらいたい。(ルネサンス以前の)中世ヨーロッパの芸術では作品制作前の思考思索がもっとも重要で、作品の出来栄えは二の次だった。それに対して現在の芸術は作品の出来栄えが最重要視されており、思考思索は低く貶められている。何度でも言う、中世芸術においては真実性が最上であり、見た目の美しさはその下に位置していた。現代芸術とは正反対なのである。中世芸術の本質はラファエロの作品となって結実した。しかしながら現代芸術の本質はラファエロよりも劣っていると言わざるを得ない[84]。
20世紀の著名な美術批評家バーナード・ベレンソンは、ラファエロを盛期ルネサンスで「もっとも有名でもっとも愛された」画家であるとしているが[85]、ミケランジェロあるいはレオナルド・ダ・ヴィンチが盛期ルネサンスでもっとも有名で愛された画家と見なす研究者もいる[注釈 6]。
注釈
- ^ 「ラファエロ・ダ・ウルビーノ」(Raffaello da Urbino)、「ラファエロ・サンツィオ・ダ・ウルビーノ (Rafael Sanzio da Urbino)」などとも表記される。「サンティ」もラテン語表記の「サンティウス (Santius)」と表記されることがある。また、ラファエロ自身が書類などに署名する際にはラテン語の「ラファエル・ウルビナス (Raphael Urbinas)」を使用していた [1]。
- ^ ユリウス2世はとくに読書家というわけではなかった。その死後に残された書籍は220冊で、当時としてはそれなりの蔵書数だったが専用の図書室が必要なものではなかった。壁に書架もなかったこの専用図書館名は1527年のローマ略奪で破壊されてしまった [33]。
- ^ 「イル・バヴィエラ (Il Baviera)」は「バイエルン人 (the Bavarian)」を意味すると考えられる。当時のローマにはドイツ出身の画家も多く、もしカロッチもドイツ出身だったとすれば、1527年のローマ略奪時にマルカントニオから多くの版画原版の銅板を奪ったことの説明になりうる。[71]。
- ^ マルガリータ・ルティの肖像画と考えられている『ラ・フォルナリーナ』には左胸に右手を添えた女性が描かれている。美術史家や研究者のなかには、このポーズは愛情を表す古典的なポーズを装っているが、ルティが乳がんに罹患しており胸部に腫瘍があることを表現しているのだと考える者もいる[75]。
- ^ 多くの美術史家や研究者がヴァザーリが記録しているこの死因を否定している。17世紀から18世紀のイタリア人医師ベルナルディーノ・ラマツィーニは1700年の著書『働く人の病 (De morbis artificum)』で、当時の画家たちが「座り続ける暮らしを送っており、その結果うつ病になる」ことがよくあり「水銀や鉛が含まれた絵具」を使用していたために短命だったとし、1915年にブファラーレは「肺炎か腸チフス」、ポルティグリオッティは「肺疾患」、ヨアニデスは「働きすぎによる過労」だったとしている。またラファエロが死去した年齢にも複数の説があり、ラファエロと同時代のイタリア人貴族マルカントニオ・ミヒル (en:Marcantonio Michiel) は34歳、パンドルフォ・ピコやジローラモ・リッポマーノは33歳説をそれぞれ唱えている[76]。
- ^ イギリス Amazon で「ルネサンス」関連のベストセラー上位25冊のうち、タイトルに入っている名前としてはレオナルドが5冊、ミケランジェロが3冊、そしてラファエロが1冊となっている[86]。
出典
- ^ Gould p.207
- ^ Jones and Penny, p. 1 and 246. ラファエロは37歳の誕生日に死去した。複数の記録によれば、ラファエロは生誕日、死去日はどちらも聖金曜日となっているためだが、異説もある。
- ^ See, for example Honour, Hugh; John Fleming (1982). A World History of Art. London: Macmillan. p. 357
- ^ Vasari, p. 208, 230 and passim.
- ^ Urbino: The Story of a Renaissance City By June Osborne, p.39 on the population, as a "few thousand" at most; even today it is only 15,000 without the students of the University
- ^ Jones and Penny, pp. 1 - 2
- ^ Vasari:p. 207 & passim
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- ^ Vasari, at the start of the Life. Jones & Penny:5
- ^ アシュモレアン博物館 “Image”. z.about.com. 2007年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月15日閲覧。
- ^ Jones and Penny: pp. 4 - 5, p. 8 and 20
- ^ Simone Fornari in 1549-50, see Gould:207
- ^ Jones & Penny:8
- ^ Jones & Penny:2-5
- ^ contrasting him with Leonardo and Michelangelo in this respect. Wölfflin:73
- ^ ミシェル・フイエ『イタリア美術』文庫クセジュ、白水社、2012年、60頁。
- ^ Jones and Penny:17
- ^ 1789年の地震で大きな損傷を受けた。
- ^ Dates are taken from the Vatican Pinacotheca website
- ^ Jones and Penny:pp. 5 - 8
- ^ One surviving preparatory drawing appears to be mostly by Raphael; quotation from Vasari by - Jones and Penny:p. 20
- ^ “Image”. szepmuveszeti.hu. 2012年8月16日閲覧。
- ^ Gould:207-8
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- ^ Vasari, Michelangelo:251
- ^ Jones and Penny:p. 43
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- ^ The Royal Collection. “Gold ring with an onyx cameo of Ariadne”. royalcollection.org.uk. 2010年8月26日閲覧。
- ^ Jones & Penny:49, differing somewhat from Gould:208 on the timing of his arrival
- ^ Vasari:247
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- ^ Following The School of Athens, "Who is Who?" Archived 2006年7月15日, at the Wayback Machine. by Michael Lahanas
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- ^ Jones and Penny:pp. 146 - 147, 196-197, and Pon:pp. 82 - 85
- ^ Jones and Penny:p. 147, 196
- ^ Vasari, Life of Polidoro online in English Maturino for one is never heard of again
- ^ Vasari:p. 207, 231
- ^ See for example, the en:Raphael Cartoons
- ^ Jones & Penny:pp. 163 - 167 and passim.
- ^ The direct transmission of training can be traced to some surprising figures, including Brian Eno, Tom Phillips and Frank Auerbach (Tomphillips.co.uk)
- ^ Vasari (full text in Italian) pp197-8 & passim; see also Getty Union Artist Name List entries
- ^ Jones & Penny:pp. 215 - 218
- ^ Jones & Penny:pp. 210 - 211
- ^ Jones & Penny:pp. 221 - 222
- ^ Jones & Penny:p. 219 - 220
- ^ Jones and Penny:p. 226 - 234; Raphael left a long letter describing his intentions to the Cardinal, reprinted in full on pp.247 - 248.
- ^ Jones & Penny:pp. 224(quotation) - 226
- ^ Jones & Penny:205 The letter may date from 1519, or before his appointment
- ^ GB Armenini (1533-1609) De vera precetti della pittura(1587), quoted Pon:p. 115
- ^ Jones & Penny:p. 58 & ff; 400 from Pon:p. 114
- ^ Ludovico Dolce (1508-68), from his L'Aretino of 1557, quoted Pon:p. 114
- ^ quoted Pon:p. 114, from lecture on The Organization of Raphael's Workshop, pub. Chicago, 1983
- ^ Not surprisingly, photographs do not show these well, if at all. Leonardo sometimes used a blind stylus to outline his final choice from a tangle of different outlines in the same drawing. Pon:pp. 106-110.
- ^ Lucy Whitaker, Martin Clayton, The Art of Italy in the Royal Collection; Renaissance and Baroque, p.84, Royal Collection Publications, 2007, ISBN 978-1-902163-29-1
- ^ Pon:p. 104
- ^ National Galleries of Scotland
- ^ Pon:102. See also a lengthy analysis in: Landau:118 ff
- ^ The enigmatic relationship is discussed at length by both Landau and Pon in her Chapters 3 and 4.
- ^ Pon:86-87 lists them
- ^ Jones and Penny:82, see also Vasari
- ^ Pon:pp. 95 - 136 & passim; Landau:pp. 118 - 160, and passim
- ^ “Lucretia”. メトロポリタン美術館. 2010年8月26日閲覧。
- ^ a b Vasari:pp. 230 - 231
- ^ "The Portrait of Breast Cancer and Raphael's La Fornarina", The Lancet, December 21, 2002/December 28, 2002.
- ^ Shearman:p. 573.
- ^ Vasari:p. 231
- ^ André Chastel, Italian Art,p. 230, 1963, Faber
- ^ Walter Friedländer, Mannerism and Anti-Mannerism in Italian Painting, p. 42 (Schocken 1970 edn.), 1957, Columbia UP
- ^ Blunt:76
- ^ See Jones & Penny:pp. 102 - 104
- ^ The 1772 Discourse Online text of Reynold's Discourses The whole passage is worth reading.
- ^ Wölfflin:p.82,
- ^ Ruskin, Pre-Raphaelitism, S. 127 online at Project Gutenburg
- ^ Berenson, Bernard, Italian Painters of the renaissance, Vol 2 Florentine and Central Italian Schools, Phaidon 1952 (refs to 1968 edn), p.94
- ^ “Bestsellers in Renaissance”. Amazon.com. 2010年8月26日閲覧。
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