ローマ賞受賞
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「ジャン=バティスト・デエ」の記事における「ローマ賞受賞」の解説
レストゥーの工房で学ぶ間、1750年にデエはローマ賞のコンクールに挑戦し、《ヤコブの結婚に娘をささげるラバン》(所在不明)を提出して二等賞を、1751年には《こやしの丘のヨブ》(所在不明)を提出して一等賞を得る。これによりデエは王家から年金を受給する奨学生となる資格を得た。ローマへ向けて立つ前に、デエは義務として三年間「王立特待生学校」(院長:シャルル=アンドレ・ヴァン・ロー)で勉強した。この時期にデエは宗教画の注文を数多く受けた(いずれも作品は所在不明)。このころの作品にはルーアンの聖訪問修道院のために制作された《聖母のエリザベト訪問》と《受胎告知》が含まれる。デエはシャルル=ジョゼフ・ナトワールが院長を務める在ローマ・フランス・アカデミーで修行の最後の時期を過ごした。このイタリア滞在中にデエはラファエロ・サンティやボローニャ派の巨匠たち―ドメニキーノ、グエルチーノ、アンニーバレ・カラッチ―の作品に基づく数多くの素描を制作した。
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