展覧会とサロン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 15:48 UTC 版)
「王立絵画彫刻アカデミー」の記事における「展覧会とサロン」の解説
王立絵画彫刻アカデミーは2年おきに展覧会を開催したほか、年に1日だけローマ賞受賞者の出品作を展示していた。最初の公式な展覧会はパレ・ロワイヤル中庭で1667年に開催されているが、以後、画家の負担が大きいことなどから度々中断する。 一方で、1692年にはアカデミーが持っていた美術品のコレクション(会員の作品、授業用の彫刻、ローマ賞の応募作品など)がルーヴル宮に移され、1712年からは愛好家に開放された。 1737年の展覧会は、ルーヴル宮の「サロン・カレ salon carré」で開催されたことから「サロン」と呼ばれ、以後は隔年ないし毎年開かれるようになった。サロンに出品できたのはアカデミーの会員か準会員、または教員に限られ、1748年からはアカデミー会員による出品審査が行われるようになった。 展示室内では出品目録を載せた公式の小冊子(リヴレ)が販売され、革命直前の1787年には2万部が売れている。この年のサロンは6万人を超す来場者(当時の人口の1割)があったと言われ、サロンは美術ジャーナリズムや美術批評の誕生も促してゆくことになる。また王権の庇護が縮小するのにともなって、新しい顧客獲得の場となっていく。
※この「展覧会とサロン」の解説は、「王立絵画彫刻アカデミー」の解説の一部です。
「展覧会とサロン」を含む「王立絵画彫刻アカデミー」の記事については、「王立絵画彫刻アカデミー」の概要を参照ください。
- 展覧会とサロンのページへのリンク