ローマ軍の内紛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 23:54 UTC 版)
紀元前105年のローマ執政官は、プブリウス・ルティリウス・ルフスとマクシムスの2人だった。年長のルフスはつい最近まで続いていたユグルタ戦争にも従軍するなど軍事経験が豊富だったが、ガリアへの遠征軍を率いたのは経験が浅いマクシムスの方だった。軍は二つに分かれ、一方を執政官のマクシムスが、他方を前執政官の大カエピオが率いて、それぞれアラウシオ近くのローヌ川沿いに野営した。 本来であれば執政官のマクシムスが前執政官の大カエピオの上官に当たり、総司令官となるはずだった。しかし、ノウス・ホモ(平民から元老院議員となった者)であるマクシムスはローマの貴族社会で後ろ盾を持たず、更に軍事的経験の浅さも相俟って、大カエピオはマクシムスの指揮下に入ることを拒否し、ローヌ左岸のマクシムス軍に対して右岸に宿営地を設けた。大カエピオはローマきっての名門貴族の出身で強硬な閥族派議員でもあり、平素から平民を蔑視していた。
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