ローマ軍の連敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 23:54 UTC 版)
ローマのコンスル(執政官)グナエウス・パピリウス・カルボは援軍を率いてノリクムに進軍したが、キンブリ、テウトネス、アンブロネスの連合軍にノレイアの戦いで敗れた。これがキンブリ・テウトニ戦争の始まりとなった。キンブリ族はガリアを目指してアルプス山脈の北側を西進し、たびたびローマ軍を破った。紀元前109年にガリア・ナルボネンシス属州に侵入したキンブリ族、テウトネス族は、執政官{マルクス・ユニウス・シラヌスの軍を破った。 キンブリ族の移動によりガリアの勢力バランスが崩れ、スイスから南ドイツにかけて居住していたガリア系のヘルウェティイ族など諸部族がローマ属州になだれ込んだ。ヘルウェティイ族を構成する4支族の一つティグリニ族はライン川を越えてガリア・ナルボネンシス属州に侵入し、紀元前107年にブルディガラ(現ボルドー)付近でローマ軍を率いる執政官ルキウス・カッシウス・ロンギヌスを副将ともども戦死させるという事態に至った(ブルディガラの戦い)。 また、諸部族の侵入と略奪に呼応してガリア都市トロサ(トゥールーズ)が反乱を起こした。連敗に業を煮やした元老院は、執政官グナエウス・マッリウス・マクシムスとプロコンスル(前執政官) クィントゥス・セルウィリウス・カエピオ(大カエピオ)に大軍を預けて派遣した。トロサを鎮圧した大カエピオはキンブリ族が再び侵入してくるのを現地で待ち受け、紀元前105年10月にその時が訪れた。
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