制作年度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 23:24 UTC 版)
ほとんどの美術史家がルーヴル・ヴァージョンの制作年度の方が古いと考えている。ナショナル・ギャラリーの館長だったマーティン・デーヴィスもルーヴル・ヴァージョンはその作風からレオナルドの初期の作品で、ロンドン・ヴァージョンにはレオナルド後期の作品の円熟味が感じられるとしている。そしてロンドン・ヴァージョンはルーヴル・ヴァージョンからの派生作品だと結論付けた。そして多くの研究者が、ルーブル・ヴァージョンこそ1483年の聖母無原罪の御宿り信心会からの依頼で描かれた作品であると考えている。 マーティン・ディヴィスを初め、ルーヴル・ヴァージョンの制作年度は1483年ではなく聖母無原罪の御宿り信心会からの依頼前、おそらくはレオナルドがフィレンツェ在住だった時期にすでに制作が開始されて完成していたのではないかと推測している研究者もいる。ディヴィスは、レオナルドは聖母無原罪の御宿り信心会からの依頼に応じて、ルーヴル・ヴァージョンを下敷きとしてロンドン・ヴァージョンを1480年代に制作したという説を唱えた。美術史家ケネス・クラークもディヴィスの説に賛同し、ルーヴル・ヴァージョンは1481年以前に完成しており、ロンドン・ヴァージョンは1483年から制作が開始されたのではないかとしている。ディヴィスらの説に対し、ジャック・ワッサーマン、アンジェラ・オッティーノ・デッラ・キエーザなどの研究者は、両作品ともにその大きさが祭壇画そのものであり、制作依頼前に描かれた絵画が祭壇画としての注文どおりの大きさであることは考えられないとした。ワッサーマンはおそらくルーヴル・ヴァージョンは収められるべき祭壇の場所に合わせて描かれており、留金の跡が存在しないのは19世紀にキャンバスへと移植されているためだと推測している。 『岩窟の聖母』が2点存在することの説明としてもっともよく知られているのは、レオナルドは1438年の制作依頼に応じてルーヴル・ヴァージョンを描いたが、のちに何らかの理由で他者にルーヴル・ヴァージョンを売却し、代替品としてロンドン・ヴァージョンを制作したというものである。この説に従って、代金の支払いをめぐる数々の諍いを経た後の1480年代後半に、ルーヴル・ヴァージョンが他者に売却されたとする。その場合、長きに渡る争いや交渉のために1508年まで礼拝堂には納品されなかった、「オリジナルの」代替品であるロンドン・ヴァージョンは、1486年ごろから制作が開始されたということになる。この仮説は非常に広く受け入れられており、ナショナル・ギャラリーのウェブサイトにもルーヴル美術館のウェブサイトにも同様の来歴が紹介されている。美術史家マーティン・ケンプ (en:Martin Kemp (art historian)) は、ルーヴル・ヴァージョンが1483年から1490年にかけて、ロンドン・ヴァージョンが1495年から1508年にかけて描かれたと主張している。 両作品の制作年度や、ルーヴル・ヴァージョンが先に描かれたのちに第三者に売却され、ロンドン・ヴァージョンが代替品として描かれたという説に異論がないわけではない。タムシン・テイラーは、作風から見てロンドン・ヴァージョンの方が古くレオナルドのフィレンツェでの修行時代の作品だとし、ルーヴル・ヴァージョンは『最後の晩餐』(1495年 - 1498年)や『聖アンナと聖母子』(1508年ごろ)とよく似ており、とくに繊細なスフマート技法に共通点が見られると指摘している。図像学の観点からテイラーは、ロンドン・ヴァージョンが1483年の制作依頼での仕様要求を満たしており、ルーヴル・ヴァージョンは1490年代に全く別の依頼主のために描かれた作品だと主張している。
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制作年度
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「ディアナとニンフたち」の記事における「制作年度」の解説
フェルメールは1653年11月29日にデルフトの画家ギルドの一員となっており、『ディアナとニンフたち』も同時期、あるいは数年後に描かれた。ギルドに入会したときのフェルメールは21歳で、カトリックへと改宗し、カタリーナ・ボルネスと結婚したのもこの年だった。リトケは『ディアナとニンフたち』に描かれている貞節や純潔の象徴が、フェルメールの結婚と関係があるのではないかとし、おそらくはフェルメールの新生活を記念して制作された作品ではないかという説を唱えている。抑制された筆使いと象徴物の控えめな配置によって、『ディアナとニンフたち』は技法的、構成的に未成熟な印象を与えており、後年に描かれたといわれる『マリアとマルタの家のキリスト』で、フェルメールが経験を積んで成長していったことが見て取れるとリトケは主張している。
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