制作年と帰属
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 19:11 UTC 版)
「聖母子とパドヴァの聖アントニウス、聖ロクス」の記事における「制作年と帰属」の解説
制作年はパドヴァの聖アントニウスが描かれている点から、ティツィアーノがパドヴァに滞在していた1511年に制作された可能性が示唆されていたが、近年はさらに以前の1508年ごろに位置づけられている。 帰属に関しては数世紀にわたってジョルジョーネの作品と見なされていたが、1904年に美術史家ヴィルヘルム・シュミット(Wilhelm Schmidt)がティツィアーノに帰属して以降は(ジョヴァンニ・モレッリやバーナード・ベレンソンなど一部の著名な研究者がジョルジョーネを主張しているにせよ)一般的にティツィアーノの初期の作品の1つであることが認められている。ただし現代の美術史家のうち、チャールズ・ホープ(英語版)はいまだ確定的ではないと考え、ポール・ホルバートン(Paul Holberton)はドメニコ・マンチーニ(英語版)がヴェネツィア南部のレンディナーラのサンタ・ソフィア教会(イタリア語版)のために1511年に制作した祭壇画との類似性からマンチーニの作品と考えている。おそらくマンチーニは本作品を知っていたのだろう。両者の間に類似点はあるが、マンチーニの品質はかなり劣っている。
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