作者の同定
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「羊飼いの礼拝 (ジョルジョーネ)」の記事における「作者の同定」の解説
1871年に出版された、美術史家ジョセフ・アーチャー・クロエ(英語版)とジョヴァンニ・バッティスタ・カヴァルカセッレ(英語版)の著書には『羊飼いの礼拝』がジョルジョーネの作品だとして紹介されている 。一方、ベレンソンは1894年に出版した『ヴェネチアの画家たち』で、ヴィンチェンツォ・カテナ(英語版)の作品である可能性が高いとしている。1912年には画家で美術研究家でもあったロジャー・フライが「表現、とくに風景前面に描かれている落ち葉の描写を分析すると、疑問の余地は残るもののジョヴァンニ・カリアーニの作品だと考えられる」としている。1894年の著書で『羊飼いの礼拝』がカテナの作品だとしていたベレンソンは、カテナ説を撤回し「まず間違いなくティツィアーノの、おそらくは最初期の作品だろう。だがジョルジョーネの表現が見られるように感じられることも、わずかではあるが否定できない……」としている。 その後ベレンソンは1957年の「ヴェネツィア派」の絵画作品リストで、「聖母マリアと風景描写を完成させたのはおそらくティツィアーノだと考えられる」としつつ、『羊飼いの礼拝』はジョルジョーネが描いた絵画作品であると以前の鑑定を訂正した。1979年に『羊飼いの礼拝』を所蔵しているナショナル・ギャラリー・オブ・アートは、エリス・ウォーターハウス(英語版)やシドニー・ジョセフ・フリードバーグ(英語版)ら、5名による専門家の鑑定結果として、この作品をジョルジョーネの真作であるとカタログに記載している。
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作者の同定
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『ドレスデンの祭壇画』にはファン・エイクの署名と制作年度、さらには座右の銘が中央パネルに記されている。ただし、これらが発見されたのは、19世紀半ばに額装が取り外されて修復が行われたときのことだった。1754年以前からアルブレヒト・デューラーの作品であるといわれていたが、1830年にドイツ人美術史家アロイス・ヒルトがファン・エイクの作品であるという説を唱えた 。 このヒルトの説は署名の発見により裏付けられた。発見された署名は「IOHANNIS DE EYCK ME FECIT ET C[OM]PLEVIT ANNO D[OMINI MCCCCXXXVII.ALC IXH XAN (我ヤン・ファン・エイクがこの作品を1437年に完成させし。我に能う限り)」だった。「complevit (完成)」は『ドレスデンの祭壇画』が完成した年を指していると思われるが、工房の助手あるいは弟子たちがこの作品の制作にわずかながらも関わっていたこともファン・エイクが意味していると考えたほうが自然といえる。『ドレスデンの祭壇画』が、「ALC IXH XAN (我の能う限り)」というバージョンの座右の銘 が記された唯一の依頼作品であることからも、この説は裏付けられている。
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作者の同定
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『リッタの聖母』が、少なくともレオナルドの存命中には真作だと見なされていたことが、多くの模写、複製画が制作されていることから推測できる。レオナルド以外に『リッタの聖母』の作者だといわれることが多いのは、弟子のジョヴァンニ・アントーニオ・ボルトラッフィオである。デイヴィッド・アラン・ブラウンは、同じくレオナルドの弟子のマルコ・ドッジョーノが作者であると主張している。その根拠として、ドッジョーノのキャリア後期の絵画に『リッタの聖母』の構成に似た作品があり、ボルトラッフィオの絵画にはそのような構成の作品が見られないことを挙げている。2011年から2012年にかけて、レオナルドが最初にミラノに滞在していたときに制作した作品の大規模な展覧会がロンドンで開かれた。この展覧会を主催したのはナショナル・ギャラリーで、『リッタの聖母』はレオナルドの真作として展示された。しかしながら、ある美術史家は「おそらくは(レオナルドの真作として展示することが)貸与の条件だった」と指摘している。
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作者の同定
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「ロヒール・ファン・デル・ウェイデン」の記事における「作者の同定」の解説
15世紀の記録による証拠のみで、間違いなくファン・デル・ウェイデンの真作であると見なされている作品は1点もない。現代の美術史家ローン・キャンベルが3点の絵画についてファン・デル・ウェイデンの真作であると判定しているが、これらの作品に対しても幾度も疑義が呈されている。この3点の絵画のうち資料がもっともよく残っているのはマドリードのプラド美術館が所蔵する『十字架降架』で、キャンベルはこの作品の来歴が16世紀以降になってから詳細に再記録されたのではないかと指摘している。2点目の、現在ベルリンの絵画館が所蔵する『聖母の三連祭壇画』とも呼ばれる『ミラフロレスの祭壇画』は、1445年にカスティーリャ王フアン2世がブルゴス近郊のカルトゥジオ会ミラフローレス修道院に寄進した作品で、優れた著名な画家「フランドルのロジェ Flandresco Rogel」が描いた絵画であるという記録が残っている。最後の、マドリード郊外のエル・エスコリアル修道院が現在所蔵する『キリスト磔刑』は、もともとファン・デル・ウェイデン自らがブリュッセル郊外のカルトゥジオ会修道院に寄進した作品である。ベルギーの美術史家ディルク・デ・フォスも、ローンが執筆したファン・デル・ウェイデンのカタログ・レゾネ に記載されているこれら3点の作品について、ファン・デル・ウェイデンの真作で間違いないだろうとしている。
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