作者のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 09:28 UTC 版)
糾弾の嵐の中、杉山は反省の意を表明したが、差別者の烙印を押されたまま公職を辞し、中小企業を転々とするようになった。はるか後年、1997年に、大阪府立成城工業高等学校教諭の秦重雄は部落解放同盟と対立する共産党系の部落問題研究所文芸部会で「特殊部落」を検証。その結果、全ての参加者から「差別小説ではない」との感想を得た。秦はこのことを杉山に知らせて長年の苦難をねぎらおうとしたが杉山の行方は知れなかった。ようやく杉山の親族に連絡が取れたときは既に遅く、1999年に杉山は他界していたという。
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