作者に縁の品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 17:16 UTC 版)
作詞者の青木の故郷である宮城県松島町では、地元の大地主であった「青木家」の名は記憶されていたものの、『どんぐりころころ』の作詞者がその血筋であることは一定時期までほとんど知られていなかった。彼の故郷での再評価は、没後約50年を経過した1983年(昭和58年)の夏に、青木の遺族と松島町の元職員が、列車で偶然に隣り合わせたことをきっかけに始まった。この際の会話を発端にして翌1984年(昭和59年)4月に松島町内の観瀾亭前庭に大倉石の歌碑が建立された。その3年後の1987年(昭和62年)には、青木の母校でもある松島町立松島第五小学校の正門横にも歌碑が立てられた。松島第五小学校は、青木が幼少時代を過ごし歌の舞台にもなった広大な青木家の屋敷跡に移転して建てられており、敷地内には青木の両親の墓も残っている。 作曲者の梁田貞の故郷である札幌市には楽譜碑がある。梁田の胸像と並んだこの楽譜碑の建立は、1968年(昭和43年)であり、松島町のものよりも歴史が古い。梁田の母校である札幌市立創成小学校校庭に当初は作られたが、2004年(平成16年)の小学校の統廃合に伴い、同校跡地に新設された札幌市立資生館小学校に移管されている。建立は梁田と生前交流のあった小原國芳が中心となって企画したもので、梁田の教え子である安田周三郎が胸像を制作した。楽譜碑には、五線譜に描かれた楽譜と歌詞が刻まれている。
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