作者と金田一耕助とは? わかりやすく解説

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作者と金田一耕助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 21:59 UTC 版)

黒猫亭事件」の記事における「作者と金田一耕助」の解説

金田一シリーズ作中の設定において、作者横溝(ただしイニシャル以外の名前は明記されない)が金田一活躍聞いて書いたものとされており、作者自身作中登場する例も少なくない第1作本陣殺人事件』は作者事件当時関係者から取材してまとめたという設定であるが、そのあと金田一自身作者を「自分伝記作者」(金田一科白では「ぼくの記録係り」)として認め、その情報提供基づいて第2作『獄門島』以降執筆したという設定が、本作冒頭語られている。 1946年昭和21年)秋、『本陣殺人事件』の連載中であった作者疎開先を、金田一が突然訪れた獄門島へ渡る前にパトロンである久保銀造ところへ立ち寄ったときに、自分のこと小説書いている人があるということをきいて大い驚き雑誌社手紙出して作者居所たずねておいたという。そして獄門島からかえってみると返事がきていたので「因縁をつけにきた」という。しかし、金田一口ぶりには少しも悪意感じられず、一種親しみ覚えた。そして、金田一作者宅に3晩逗留するうちに『獄門島』事件について語り、それを小説書くこと許した。このときに探偵小説トリック分類について議論になり(#トリックについて参照)、そのとき約束を果たすべく1947年昭和22年春に金田一送ってきた記録本作元になっているという設定である。 このことについて、前述の「作者言葉」には、この作品書いて初め金田一好意友情感じられたこと、その意味で、これから書き続けられるであろう彼のシリーズでも最も作者愛する作となるだろう、と書いている。 なお、金田一がこの事件の記録送ってきた手紙には「東京へかえって来て最初にぶつかった事件」と記されているが、明らかに東京での事件である『黒蘭姫』が本作よりも時系列的に先行する考えられているという矛盾がある。また、本事件同時期と考えられる暗闇の中の猫』も、作者金田一に「東京に腰を落ち着けてから最初に取り扱った事件」を尋ねたのに答える形で語られている。

※この「作者と金田一耕助」の解説は、「黒猫亭事件」の解説の一部です。
「作者と金田一耕助」を含む「黒猫亭事件」の記事については、「黒猫亭事件」の概要を参照ください。

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