作者と金田一耕助
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金田一シリーズは作中の設定において、作者・横溝(ただしイニシャル以外の名前は明記されない)が金田一の活躍を聞いて書いたものとされており、作者自身が作中に登場する例も少なくない。第1作『本陣殺人事件』は作者が事件当時の関係者から取材してまとめたという設定であるが、そのあと金田一自身が作者を「自分の伝記作者」(金田一の科白では「ぼくの記録係り」)として認め、その情報提供に基づいて第2作『獄門島』以降を執筆したという設定が、本作の冒頭で語られている。 1946年(昭和21年)秋、『本陣殺人事件』の連載中であった作者の疎開先を、金田一が突然訪れた。獄門島へ渡る前にパトロンである久保銀造のところへ立ち寄ったときに、自分のことを小説に書いている人があるということをきいて大いに驚き、雑誌社に手紙を出して作者の居所をたずねておいたという。そして獄門島からかえってみると返事がきていたので「因縁をつけにきた」という。しかし、金田一の口ぶりには少しも悪意が感じられず、一種の親しみを覚えた。そして、金田一は作者宅に3晩逗留するうちに『獄門島』事件について語り、それを小説に書くことも許した。このときに探偵小説のトリックの分類についての議論になり(#トリックについて参照)、そのときの約束を果たすべく1947年(昭和22年)春に金田一が送ってきた記録が本作の元になっているという設定である。 このことについて、前述の「作者の言葉」には、この作品を書いて初めて金田一に好意と友情を感じられたこと、その意味で、これからも書き続けられるであろう彼のシリーズでも最も作者の愛する作となるだろう、と書いている。 なお、金田一がこの事件の記録を送ってきた手紙には「東京へかえって来て最初にぶつかった事件」と記されているが、明らかに東京での事件である『黒蘭姫』が本作よりも時系列的に先行すると考えられているという矛盾がある。また、本事件と同時期と考えられる『暗闇の中の猫』も、作者が金田一に「東京に腰を落ち着けてから最初に取り扱った事件」を尋ねたのに答える形で語られている。
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