作者と洞爺丸の関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 07:53 UTC 版)
「洞爺丸はなぜ沈んだか」の記事における「作者と洞爺丸の関わり」の解説
1959年 朝日新聞社に入社後、新聞記者として青森支局に赴任。赴任早々「ここには青函連絡船がある。いつ事故が起きても十分取材出来るよう日頃から準備し、特に乗客名簿のスクープを心がけるように」と命じられたのが始まり。その後青函鉄道管理局や連絡船での取材で出入りするうちに、洞爺丸台風をめぐるエピソードにも触れるようになったという。その後長年にわたり資料収集やインタビューを重ねるなどしてノンフィクションとしてまとめあげたという。 赴任の訓示でも触れている「乗客名簿のスクープ」とは事故直後に毎日新聞記者が函館桟橋から乗客名簿を持ち出したことを指す。このため青函局の乗客名簿発表が遅れるという事態になった。
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