作者と成書背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 21:34 UTC 版)
以下の文章の参考文献はである。 『紅楼夢』の作者曹雪芹は、生活の巨大な変化を経験して、最後に鬱々として死んでいった人であった。彼の名は霑(てん)、字は夢阮(むげん)、号は雪芹(せつきん)、またの号は芹圃(きんぽ)、芹渓(きんけい)といった。生年は未詳、死んだ年は乾隆二十七年壬午年の除夜(西暦一七六三年二月十三日)、一説によると乾隆二十八年癸未の除夜とされ、ほぼ四十余歳の生涯であった。 曹雪芹の先祖はもともと漢人であったが、非常に早く満州籍に入り、漢軍正白旗人に所属した。彼の曾祖父曹璽から、父の曹頫(曹寅の養子で、曹寅の弟の曹荃の実子)の代まで、全部でほぼ六、七十年の久しきにわたって江寧織造(宮廷のために各種の御用物品を購入できる官職)を世襲した。そのうえ、曹璽の妻がかつて康熙皇帝の乳母をしたことがあり、また曹雪芹の祖父曹寅が康熙皇帝の「侍読」になったことがあった。だから曹家はそのとき、財力・権勢が天をおおう勢いの「百年の望族」となった。 曹雪芹は少年時代は、一時期、極めて富貴繁華な貴族生活を経験したことがある。しかし、父が任期中に欠損を出し、さらに皇室内部に権位争奪に巻き込まれて免職、家産没収の処分を受けた。彼は最後に非常に貧乏な日々を過ごした。 『紅楼夢』は、曹雪芹が貧乏暮しをしていた時期に書いたものである。書いていた過程では、また周囲の数人の友人の賞賛と激励を得た。『紅楼夢』が完成に近づこうとしたとき(前八十回はすでに基本的に定稿となっており、その後の部分がさらにいくらか書かれていたのだが、その当時すでに「紛失」していた)、曹雪芹は貧乏のために病気になっても治療ができず、そのうえただ一人の愛児が夭折し、非常に悲しんで、ついにある大晦日の晩に「涙尽きて逝った」。
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