三連祭壇画とは? わかりやすく解説

祭壇画

(三連祭壇画 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/21 15:05 UTC 版)

フィレンツェ、サンタ・クローチェ教会の祭壇画

祭壇画(さいだんが)またはアルターピースaltarpiece)は、教会祭壇飾りのこと。具体的には、宗教的題材を描いたもしくはレリーフを、教会の祭壇背後の枠の中に取り付ける。祭壇画はしばしば2つないしそれ以上の分かれたパネルから成り、パネルは板絵(en)の技法で作られる。パネルが2つなら二連祭壇画 、3つなら三連祭壇画、それ以上なら多翼祭壇画と呼ばれる。彫刻群を祭壇の上に置くこともあるし、場合によっては、祭壇そのものを指すこともある。

もし祭壇が聖歌隊席と区切られていなければ、祭壇画の表裏に絵を描くこともできる。内陣障壁、背障も一般に飾られる。

有名な例としては、

などがある。

なお、祭壇の前を飾るものはアンテペンディウムという。

二連祭壇画

二連祭壇画(にれんさいだんが、英語:Diptych)は、2枚のパネルでできた祭壇画。二連祭壇画の中には、たとえばウィルトンの二連祭壇画(ウィルトン・ディプティク)のように、小さくて、持ち運びできるものもある。

なお、Diptychには別の意味もある。(ディプティクを参照)

三連祭壇画

三連祭壇画(さんれんさいだんが、英語triptychトリプティック)という言葉は、tri-(3つの)+ptychē(折り重ねる)から成り、つまり、3つの部分に分けられた絵画(多くは板絵)作品、もしくは蝶番で折り畳むことのできる3つの木彫りされた板のこと。真ん中の板は他の2枚より大きくて、3枚の内容には関連性がある。

ヒエロニムス・ボスの『快楽の園

この三連形式は初期キリスト教美術から発生し、中世以降は祭壇画の標準フォーマットとなった。その地理的範囲は東は東ローマ帝国から、西はイギリスケルト教会まで。ルネサンス期の画家彫刻家、たとえばハンス・メムリンクヒエロニムス・ボスなどが、この形式を使用した。例として、イギリスのスランダフ大聖堂 Llandaff Cathedralルーベンスの2作品があるベルギー・アントウェルペンアントウェルペン大聖堂 Cathedral of Our Lady、そしてパリノートルダム大聖堂などが挙げられる。あるものは、教会のステンドグラスの構造に形式を真似られたものも見られる。三連形式は現代の画家・写真家たちにも影響を与えているが、彼らの三連形式は必ずしも蝶番で動くわけではない。

この言葉の起源は古代ギリシア語の triptychos, ギリシャ語表記:τρίπτυχο で、古代ローマ人が書字板(それもまた真ん中のパネルと蝶番で繋がった2つの側面パネルがあった)に書き記したものから、中世になって現在使われる綴りになった。なお、ペンダント・ジュエリーにも三連形式は使われている。

多翼祭壇画

ヘントの多翼祭壇画(15世紀)

多翼祭壇画(たよくさいだんが)は、複数の絵画(多くは板絵)や浮き彫りで構成する、祭壇画の一様式。

ルネサンス期のヨーロッパで多く制作され、主にキリスト教の教会で祭壇を飾るためのもの。小型のものは個人の家にも置かれた。 ヤン・ファン・エイクらによるヘントの多翼祭壇画が有名なもののひとつ。 両翼は扉になっており、写真はそれを開いた状態のもの。

背障

ガラスで作られた現代の背障(ジャージー島、ミルブルック、ガラスの教会こと聖マシュー教会)

背障(はいしょう、reredos or raredos)とは、教会の祭壇の背後にある衝立もしくは飾りのこと。通常、そこには宗教的イコノグラフィーもしくは像(イメージ)が描かれる。石・木・金属・象牙、またはその混合でできている。像は、絵を描くか・彫るか・金メッキを施すか・モザイクにするか・彫像を置くかする。タペストリーベルベット編み物を使う場合もある。

中世イギリスで生まれた言葉だが、語源は(1)14世紀のアングロ=ノルマン語 areredos、(2)arere (背後)+dos(後ろ)、(3)ラテン語dorsum である。

reredosの同義語に retable という言葉がある。祭壇が壁から遠ざかった時代に生まれた言葉だと思われる。祭壇がまだ壁とくっついていた頃には、祭壇の上か後ろにはreredosはなく、その代わりにretable(垂れ幕の類)があった。また、retableは祭壇の十字架、花、燭台があったところにあった。なお、フランスでは、retable(レターブル)がreredosの意味で使われている。スペインの retabloレタブロ)も同様である。

reredosという言葉は14〜15世紀の後は使われなくなった。しかし、19世紀になって復活した。

関連項目

外部リンク


三連祭壇画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/10 00:37 UTC 版)

聖アンネン教会 (ダーレム)」の記事における「三連祭壇画」の解説

主祭壇右側壁面置かれているアウシュビッツに関する三連祭壇画はドリス・ポラチェック(1928年-2002年)の作品である。この陶芸レリーフ作品1992年教会共同体入手した恐怖示しているだけでなく、キリスト教会無為拒絶表現している作品である。この三連祭壇画は左において焼却中央磔刑像右面鞭打ち示している。この三連祭壇画の表現において、キリスト十字架けられているのではなく、胸に黄色継ぎ当てをした一人ユダヤ人十字架けられ死を迎えている。この作品福音主義教会据え付けられていることに対してローマ・カトリック教会側から批判出された。三連祭壇中央にいる聖職者たちがその着衣によって明らかにカトリック教会人間と見えるように描かれている。すなわち、ローマ・カトリック教会高位聖職者司教修道士のように見えるからである。この三連祭壇画は批判者たちから一方的な罪責表現であると解釈された。これに関するマリオン・ガルダイ牧師による応答がダーレム教会共同体出版物で読むことが出来る 。様々な批判応答する形で、教会訪問者に向けの三連祭壇画に関する注釈明確に書き改められた。なお、この三連祭壇画はこの場所にそのまま置かれている。

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