三連祭壇画とは? わかりやすく解説

祭壇画

(三連祭壇画 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/04 00:06 UTC 版)

祭壇画(さいだんが)またはアルターピースaltarpiece)は、教会祭壇飾りのこと。具体的には、宗教的題材を描いたもしくはレリーフを、教会の祭壇背後の枠の中に取り付ける。祭壇画はしばしば2つないしそれ以上の分かれたパネルから成り、パネルは板絵(en)の技法で作られる。パネルが2つなら二連祭壇画 、3つなら三連祭壇画、それ以上なら多翼祭壇画と呼ばれる。彫刻群を祭壇の上に置くこともあるし、場合によっては、祭壇そのものを指すこともある。




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三連祭壇画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/10 00:37 UTC 版)

聖アンネン教会 (ダーレム)」の記事における「三連祭壇画」の解説

主祭壇右側壁面置かれているアウシュビッツに関する三連祭壇画はドリス・ポラチェック(1928年-2002年)の作品である。この陶芸レリーフ作品1992年教会共同体入手した恐怖示しているだけでなく、キリスト教会無為拒絶表現している作品である。この三連祭壇画は左において焼却中央磔刑像右面鞭打ち示している。この三連祭壇画の表現において、キリスト十字架けられているのではなく、胸に黄色継ぎ当てをした一人ユダヤ人十字架けられ死を迎えている。この作品福音主義教会据え付けられていることに対してローマ・カトリック教会側から批判出された。三連祭壇中央にいる聖職者たちがその着衣によって明らかにカトリック教会人間と見えるように描かれている。すなわち、ローマ・カトリック教会高位聖職者司教修道士のように見えるからである。この三連祭壇画は批判者たちから一方的な罪責表現であると解釈された。これに関するマリオン・ガルダイ牧師による応答がダーレム教会共同体出版物で読むことが出来る 。様々な批判応答する形で、教会訪問者に向けの三連祭壇画に関する注釈明確に書き改められた。なお、この三連祭壇画はこの場所にそのまま置かれている。

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三連祭壇画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/04 00:06 UTC 版)

祭壇画」の記事における「三連祭壇画」の解説

三連祭壇画(さんれんさいだんが、英語:triptych)という言葉は、tri-(3つの)+ptychē(折り重ねる)から成り、つまり、3つの部分分けられ絵画多く板絵作品もしくは蝶番折り畳むことのできる3つの木彫りされた板のこと。真ん中の板は他の2枚より大きくて3枚内容には関連性がある。 この三連形式初期キリスト教美術から発生し中世以降祭壇画標準フォーマットとなった。その地理的範囲東は東ローマ帝国から、西はイギリスケルト教会まで。ルネサンス期画家彫刻家、たとえばハンス・メムリンクヒエロニムス・ボスなどが、この形式使用した。例として、イギリススランダフ大聖堂 Llandaff Cathedralルーベンスの2作品があるベルギー・アントウェルペンのアントウェルペン大聖堂 Cathedral of Our Lady、そしてパリノートルダム大聖堂などが挙げられる。あるものは、教会のステンドグラス構造形式真似られたものも見られる三連形式現代画家写真家たちにも影響与えているが、彼らの三連形式は必ずしも蝶番で動くわけではない。 この言葉の起源古代ギリシア語の triptychos, ギリシャ語表記:τρίπτυχο で、古代ローマ人書字板(それもまた真ん中パネル蝶番繋がった2つ側面パネルがあった)に書き記したものから、中世になって現在使われる綴りになった。なお、ペンダント・ジュエリーにも三連形式使われている。

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三連祭壇画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 05:13 UTC 版)

受胎告知 (ヤン・ファン・エイク)」の記事における「三連祭壇画」の解説

もともと三連祭壇画だった『受胎告知』の残りパネルについては後述する来歴上の記録はまったくない。それほど大きな祭壇画ではないので、側面祭壇かあるい小さな礼拝堂用に作成され可能性はある。失われたパネル何が描かれていたのか不明なままとなっている。少なくとも『受胎告知』のパネルの倍以上の幅があったと思われる中央パネルには「キリストの降誕」か「三博士礼拝」が、右翼には「聖母のエリザベト訪問」か「神殿奉献」が描かれていたのではないか考え研究者も多い。両翼外側にもある程度装飾なされていたと思われるが、19世紀パネルからキャンバス移植したときに外側廃棄されていることから考えると、外側全面絵画描かれていたりグリザイユ人物など描かれていた可能性は低い。ともあれ左翼内側描かれたこの『受胎告知』が他のパネル描かれていた題材関連があったことは間違いない

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