ビザンティン美術とは? わかりやすく解説

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ビザンティン美術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 09:54 UTC 版)

ビザンティン美術(ビザンティンびじゅつ)は、5世紀から15世紀東ローマ帝国で発達した美術の体系。古代のギリシア美術ヘレニズム美術、ローマ美術を継承しつつ、東方的、キリスト教的要素を含んだ独特な体系を産んだ。日本ではビザンツ美術と呼ぶことも多い。






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ビザンティン美術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 18:17 UTC 版)

西洋美術史」の記事における「ビザンティン美術」の解説

詳細は「ビザンティン美術」および「イコン」を参照 330年コンスタンティヌス1世により帝都コンスタンティノポリス(現イスタンブール)へ移されことがきっかけで美術活動重心東方へと移っていった。これによって初期キリスト教美術古代アジアサーサーン朝ペルシア美術的要素融合し、ビザンティン美術が確立された。ビザンティン美術は15世紀まで長きに渡り大きな変質なく脈々と一貫性保ち続けその特徴荘厳な様式中に散りばめられた豪華絢爛装飾性と、精神性神秘性追求した理知的な傾向挙げられるユスティニアヌス1世第一次黄金時代呼ばれる時期建築されハギア・ソフィア大聖堂は、それまでバシリカ式と集中式の建築様式統合し新し建築類型確立させた。また、近東民族美術影響装飾モチーフにも変化見られ聖樹獅子幾何学文様などの象徴的あるいは抽象的な浮彫装飾好んで選択されており、人像の表現激減している。さらに、8世紀入って聖像論争勃発して聖像否定派優勢に立ったことで、こうした傾向はますます顕著となり、造形美術分野一時的な衰退余儀なくされた。 9世紀後半興ったマケドニア王朝はその版図拡大し続け11世紀にはイタリア南部からスラブ諸国にまで及ぶ大帝国となった。この時代始まった美術界における栄華をビザンティン美術における第二次黄金時代と呼ぶ。ヘレニズム期古典的な伝統美術影響力強め教会堂建築オシオス・ルカス修道院などに代表される集中式を基盤とした装いへと立ち返っている。工芸美術分野では「パリ詩篇英語版)」や「ナジアンゾスのグレゴリウス説教集」といった擬古典的な様式採用した写本装飾など制作された。その後マケドニア王朝滅亡とともにコムネノス王朝興る華やかな宮廷美術と、人文主義的な伝統美術融合した独特の美術開花した代表的な教会堂建築としてはダフニ修道院、ネレズィ修道院聖堂英語版)などがある。13世紀前半には十字軍略奪占領などによって再び停滞期突入するが、パレオロゴス王朝時代に入るとコーラ修道院代表される写実的繊細典雅な様式が花開いた11世紀中葉以降西方における帝国拠点都市通じて、ビザンティン美術は西欧美術大きな影響与え続け、大構図モザイク装飾採用した教会堂各地建立された。

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ビザンティン美術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/04 17:39 UTC 版)

ギリシア美術」の記事における「ビザンティン美術」の解説

「ビザンティン美術」も参照 中世になると古代ギリシア文明栄えていた地域東ローマ帝国ビザンツ帝国ビザンティン帝国という)の領土となり、古代ギリシア美術キリスト教正教会)、オリエント影響受けたビザンティン美術が発展した。ビザンティン美術の高度なモザイク技術建築イコンなどは東ヨーロッパ正教圏西欧美術にも大きな影響与えた

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