ビザンティン美術とは? わかりやすく解説

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ビザンティン美術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/18 20:34 UTC 版)

ビザンティン美術(ビザンティンびじゅつ)は、5世紀から15世紀東ローマ帝国で発達した美術の体系。古代のギリシア美術ヘレニズム美術、ローマ美術を継承しつつ、東方的、キリスト教的要素を含んだ独特な体系を産んだ。日本ではビザンツ美術と呼ぶことも多い。

ビザンティン美術の例:アヤソフィアにある、キリストと11世紀の皇帝コンスタンティノス9世夫妻のモザイク

概要

ビザンティン美術と呼ばれる美術の範囲には、東ローマ帝国の内部で制作された美術作品のみならず、その勢力圏にあって強い影響を受けたルーシロシア)、ブルガリアヴェネツィア南イタリアマグナ・グラエキア)、シチリアなどの美術も含んでいうことがある。 顕著な特徴は、同時代の西ローマ西ヨーロッパの美術に比べて、東方的な要素を多く含んでいる点である。

ビザンティン美術は非常に優れたモザイク画を生んだ。宗教画は、様式化され写実的な描写に乏しいとされるものが多い(神の世界の不変性を描くため、また偶像崇拝という批判を避けるため、あえて写実的なスタイルをとらなかった)が、末期の「パレオロゴス朝ルネサンス」の時期には古代ギリシア文化の復興を受けて写実的なフレスコ画なども多く描かれた。これらの独特の宗教美術や、ドームを特徴とする建築様式は、いまでも正教圏各国に受け継がれている。帝国の滅亡後もその影響はギリシャなどの正教会の諸国に伝わり、東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国イスラム美術にも影響を及ぼした。また末期の写実的な画法は、イタリアルネサンスの絵画にも大きな影響を与えた。

また、かつては宮殿に皇帝の戦勝などを描いたモザイク画が描かれていたが、宮殿は帝国滅亡後に破壊されてしまったために、現在ではコンスタンティノポリスの大宮殿の床を飾っていたモザイク画の一部が残っているに過ぎない(イスタンブールのモザイク博物館で見ることが出来る)。これらは宗教画と違って、古代ギリシア以来の写実的な技法で描かれている。世俗の絵画はほとんどが失われてしまったために、宗教画の特徴のみがビザンティン美術の特徴として伝わってしまっているが、近年これは誤った認識ではないかと言われてきている。

建築

絵画

彫刻

イエス・キリストに加冠される皇帝コンスタンティノス7世、10世紀の象牙浮き彫り

東ローマ帝国においては、丸彫りの彫刻というものはほとんど作られなかった。この傾向は既に古代ローマ帝国の末期から始まっており、古代ギリシャ・ローマ時代には良く見られた人物像の彫刻は製作されなくなり、段々浮き彫りのみとなっていった。これに伴い、その製作技術も低下し、失われていった。

これは、偶像崇拝を禁じるキリスト教が国教化し、その影響が強まったためだと言われている。6世紀の皇帝ユスティニアヌス1世は、自らの銅像を首都コンスタンティノポリスの宮殿前広場に建てさせたが、その彫像も古代の他人の像を改作したものであったらしい。

結局、8-9世紀の聖像破壊運動が終結した後も、キリストなどの像は作られず平面なイコンや壁画のみが製作された。

宝物

エマイユ・クロワゾネ

ルーマニアの切手(ルーマニア国立歴史博物館英語版所蔵のビザンティン時代のエンコルピア

 

聖像破壊運動の時期に、身に付ける護符は聖人の像などではなく、十字架が奨励され、小さな十字架を鎖につないでネックレスのように吊るすことが流行した。これをエンコルピア英語版(エンコルピオン)と呼ぶ。最高級品はエマイユで作成され、8世紀には「エマイユ・クロワゾネ」と呼ばれる技法が用いられた。これは黄金の土台の上に金線を融着させ、その上に粉ガラスを置いて熱し、研磨するもので、ビザンティン美術の傑作として名高い。
エマイユ・クロワゾネはエンコルピア以外でも、王冠や聖遺物容器の装飾にも用いられた。900年前後には技法がかなり洗練されるようになり、さらに後には大型の作品が見られるようになる。こうしたエマイユ・クロワゾネの最高傑作とされているのが、『リンブルクの聖遺物容器英語版』(968年)である。これは皇帝ロマノス1世レカペノス庶子ロマノス2世時代からバシレイオス2世の治世の始め頃まで事実上の宰相の立場にいた宦官バシレイオス・ノソス英語版が造らせたもので、コンスタンティノポリスの陥落の後、ドイツにもたらされた。

それ以外にも、ヴェネツィアサン・マルコ寺院祭壇の後ろに飾られた金色の背障パラ・ドーロ(Pala d’Oro)が、ビザンティン美術の最も純化熟達した作品の一つとして世界的に認められている。

関連項目

関連文献

  • 『初期キリスト教美術・ビザンティン美術』<岩波世界の美術>
     ジョン・ラウデン、益田朋幸訳、岩波書店、2000年
  • 益田朋幸 『ビザンティン』 <世界歴史の旅>山川出版社、2004年 
  • 『ビザンティン美術への旅』 写真・赤松章、文・益田朋幸、平凡社、1995年
  • 『ビザンティン美術』 <世界美術大全集 西洋編第6巻>小学館、1997年 大著
  • 辻佐保子 『ビザンティン美術の表象世界』 岩波書店、1993年 大著 

外部リンク


ビザンティン美術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 18:17 UTC 版)

西洋美術史」の記事における「ビザンティン美術」の解説

詳細は「ビザンティン美術」および「イコン」を参照 330年コンスタンティヌス1世により帝都コンスタンティノポリス(現イスタンブール)へ移されことがきっかけで美術活動重心東方へと移っていった。これによって初期キリスト教美術古代アジアサーサーン朝ペルシア美術的要素融合し、ビザンティン美術が確立された。ビザンティン美術は15世紀まで長きに渡り大きな変質なく脈々と一貫性保ち続けその特徴荘厳な様式中に散りばめられた豪華絢爛装飾性と、精神性神秘性追求した理知的な傾向挙げられるユスティニアヌス1世第一次黄金時代呼ばれる時期建築されハギア・ソフィア大聖堂は、それまでバシリカ式と集中式の建築様式統合し新し建築類型確立させた。また、近東民族美術影響装飾モチーフにも変化見られ聖樹獅子幾何学文様などの象徴的あるいは抽象的な浮彫装飾好んで選択されており、人像の表現激減している。さらに、8世紀入って聖像論争勃発して聖像否定派優勢に立ったことで、こうした傾向はますます顕著となり、造形美術分野一時的な衰退余儀なくされた。 9世紀後半興ったマケドニア王朝はその版図拡大し続け11世紀にはイタリア南部からスラブ諸国にまで及ぶ大帝国となった。この時代始まった美術界における栄華をビザンティン美術における第二次黄金時代と呼ぶ。ヘレニズム期古典的な伝統美術影響力強め教会堂建築オシオス・ルカス修道院などに代表される集中式を基盤とした装いへと立ち返っている。工芸美術分野では「パリ詩篇英語版)」や「ナジアンゾスのグレゴリウス説教集」といった擬古典的な様式採用した写本装飾など制作された。その後マケドニア王朝滅亡とともにコムネノス王朝興る華やかな宮廷美術と、人文主義的な伝統美術融合した独特の美術開花した代表的な教会堂建築としてはダフニ修道院、ネレズィ修道院聖堂英語版)などがある。13世紀前半には十字軍略奪占領などによって再び停滞期突入するが、パレオロゴス王朝時代に入るとコーラ修道院代表される写実的繊細典雅な様式が花開いた11世紀中葉以降西方における帝国拠点都市通じて、ビザンティン美術は西欧美術大きな影響与え続け、大構図モザイク装飾採用した教会堂各地建立された。

※この「ビザンティン美術」の解説は、「西洋美術史」の解説の一部です。
「ビザンティン美術」を含む「西洋美術史」の記事については、「西洋美術史」の概要を参照ください。

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