エマイユ・クロワゾネ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 09:54 UTC 版)
「ビザンティン美術」の記事における「エマイユ・クロワゾネ」の解説
聖像破壊運動の時期に、身に付ける護符は聖人の像などではなく、十字架が奨励され、小さな十字架を鎖につないでネックレスのように吊るすことが流行した。これをエンコルピア(英語版)(エンコルピオン)と呼ぶ。最高級品はエマイユで作成され、8世紀には「エマイユ・クロワゾネ」と呼ばれる技法が用いられた。これは黄金の土台の上に金線を融着させ、その上に粉ガラスを置いて熱し、研磨するもので、ビザンティン美術の傑作として名高い。エマイユ・クロワゾネはエンコルピア以外でも、王冠や聖遺物容器の装飾にも用いられた。900年前後には技法がかなり洗練されるようになり、さらに後には大型の作品が見られるようになる。こうしたエマイユ・クロワゾネの最高傑作とされているのが、『リンブルクの聖遺物容器(英語版)』(968年)である。これは皇帝ロマノス1世レカペノスの庶子でロマノス2世時代からバシレイオス2世の治世の始め頃まで事実上の宰相の立場にいた宦官・バシレイオス・ノソス(英語版)が造らせたもので、コンスタンティノポリスの陥落の後、ドイツにもたらされた。 それ以外にも、ヴェネツィアのサン・マルコ寺院の祭壇の後ろに飾られた金色の背障パラ・ドーロ(Pala d’Oro)が、ビザンティン美術の最も純化熟達した作品の一つとして世界的に認められている。
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