イスラム美術
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アッラーフ · イスラーム
六信 · 五行
タウヒード · ジハード
モスク · マドラサ
カアバ · ハッジ
注釈
- ^ この記事における「イラン」および「シリア」「パレスチナ」は原則として、イラン文化圏(今日のイラン、イラク東部、ウズベキスタン、トルクメニスタンの一部、アフガニスタン、パキスタン)と歴史的シリア(今日のシリア、パレスチナ、イスラエル、レバノン、イラク西部〔ジェジラ〕)をそれぞれ指す。
- ^ 同様の定義をしている文献として、[1][2][3][4]がある。
- ^ 美術史家・考古学者のオレグ・グラバールによれば、イスラームの美術は「芸術的創造の過程そのものに対する一連の姿勢」によってしか定義され得ぬものであった[7]。
- ^ 『イスラーム美術の形成』において、グラバールはイスラーム美術がムスリム美術ではないとして次のように説明する。「『イスラーム美術』は1つの宗教の美術形式を特に指すわけではない。そのモニュメント〔注:ここでのmonumentは「証言となるもの」という原義で理解する必要がある〕にはムスリムの信仰とはわずかしか、もしくは全く関連が見られないのである。ムスリム以外により、ムスリム以外のために作られたのであると明らかになっている美術作品もまた正当に「イスラームの」ものとして研究され得るのである[8]」 グラバールはまた、より良く定義しようと努力しながらも「『イスラームの』という概念はあまり明確なものではない」とも論じている[9]。
- ^ 1971年以降、ジャン=ポール・ルーはルーヴル美術館での展示に「イスラームの諸美術」という呼称を用いるようになり、1993年には「イスラームの諸美術部門」が創設されるに至った。呼称に関する研究は、以下の文献を参照。Makariou, Sophie. « Arabes versus Persans : génie des peuples et histoire des arts de l'Islam », in Labrusse, R. (dir.) Purs décors ? Arts de l'Islam, regards du XIXe siècle [cat. exp. Paris : musée des arts décoratifs, 2007-2008], Paris : Les arts décoratifs/musée du Louvre éditions, 2007, p. 188-197。ルーヴル美術館サイトの日本語訳では「イスラム美術部門」となっている[14]。
- ^ イスラーム美術は、征服した世界の四隅から借用した構造と形式の蓄積とも考えることができる[22]。
- ^ 「様式」(plan)は建築の平面(図)的な構造およびその様式を指す[25]。
- ^ ウマイヤド・モスクの敷地には、古代のユピテルの寺院があった場所に洗礼者ヨハネのバジリカが建てられていた[26]。
- ^ ミリアム・ローゼン=アヤロン(Myriam Rosen-Ayalon)による研究では、アラブ様式は堅材でできた初めてのモスクであったアル=アクサー・モスクの建設と共に生まれたものではないかとしている[26]。
- ^ しかし近年の研究によれば、再利用された柱や柱頭の配置により岩のドームと同じ様式がカイラワーンの大モスクで再現されているという指摘もある[29]。
- ^ ムスリム支配の最初の125年間の『美術作品』の産出が論じられることがあるとすれば、それはムスリムによる征服後の1と四半世紀の間には物質文化はほとんど変化しなかったという示唆をともなう[35]。
- ^ 地中海側を向きながらも、水路(ユーフラテス川とインド洋)と陸路によりイランと極東世界に結び付いた、古代の伝統に富む国にあって、キリスト教、ヘレニズム、サーサーン朝の要素が並立し交錯し合い、独自の美術を形成していった[36][37]。
- ^ バグダードは円形をした街で、その中央には大きなモスクと宮殿が建っていたと複数の情報源が描写している。他方、サーマッラーは836年にアル=ムウタスィムによりほぼ無から建設され、数多くの宮殿、2つの大モスクおよび兵営があった。892年のアル=ムウタミドの死と共に完全に放棄されたため、年代学上の信頼できる目印となっている[39]。
- ^ たとえば『様式化された鳥のパネル』を参照[42]。
- ^ 中国との関係は複雑であるが、確かに存在した。中国の焼き物がスーサやシラフなど多くの地で発見されている[46]。
- ^ Monique Kervranの調査による[48]。
- ^ グルーベによると、銘文はコレクションの各品を識別する役に立ったと考えられる[51]。
- ^ 現存する建造物は、1765年の清朝の乾隆帝の時代のものとなる[52]。
- ^ ラスター彩に関しては、フスタートのスカンロンで772-773年と779年のものと推定される2つの例が発掘されたことに触れた以下の文献も参照[54]。
- ^ 後ウマイヤ朝という呼称は中国史の用語法からの借用であり、日本のみで使われている[59]。
- ^ アンダルスのウマイヤ朝は諸々の自治的な王朝(タイファ:1031-1091年)の台頭により瓦解したが、美術作品が根本的に変化するということはなかった[60][61]。
- ^ マリーン朝は15世紀には衰退を始め、1549年にはシャリーフたちが実権を握った。ハフス朝はオスマン帝国に征服された[62]。
- ^ サン・ファン・デ・バニョス教会(661年)以降、この建築フォルムはエブロ川からドウロ川にかけての地域で見られる。蹄形アーチの起源はさらに先で、ローマ帝国時代のただ中であったとさえ言える[64]。
- ^ 例としては、メディナ・アサーラの噴水に由来するカタールのドーハのコレクションにある牝鹿や、ルーヴル美術館蔵の孔雀の水盤(MR 1569)と獅子の噴水吐水口(OA 7883)などを参照。
- ^ スペインの織物はティラーズと呼ばれる王立の工房で独占的に生産されていた[71]。
- ^ イスラームの工人は優れた技術を持っていたが、工賃はキリスト教徒よりも安かった。また、イスラーム教徒の人口とムデハル様式の隆盛には相関関係がなく、イスラーム人口が最多だったが農民が中心だったバレンシアよりも、カスティーリャ、アラゴン、アンダルシアの方が作品は多かった[76]。
- ^ ブルームとブレアは、この写実主義の発展を、ファーティマ朝による精密科学の奨励によるものではないかとしている[79]。
- ^ マムルークたちはトルコの解放奴隷であり、(理屈上は)権力を解放奴隷の仲間同士で引き継いだ。君主の世襲が行われていないので、マムルーク朝は厳密な意味では王朝ではない[85][86]。
- ^ 一部の研究者は依然として珪質の胎土がイランで誕生したと考えているが、大部分の研究者はこれがエジプトでの発明であり、ファーティマ朝の滅亡の後に逃亡してきたエジプト人の陶工たちと共にイランに齎されたのであると考えている[94][95]。
- ^ イスラームでは稀なこの方向付けの最良の例はタフテ・ソレイマーンの配置である[99]。
- ^ 1071年のマラズギルトの戦い後、アナトリアのセルジューク朝はイランのものとは独立したスルタン国を形成した。モンゴルの侵攻を受け、その権力は1243年には消滅したものと思われるが、その名を冠した硬貨は1304年まで鋳造され続けていた[109][110]。
- ^ ジャラール・ウッディーン・ルーミーの『マスナヴィー』の、6巻からなる写本。コニヤにて1268-1269年に制作されたものと考えられる[111]。
- ^ 後には、ベンガル地方、カシミール、グジャラート、ジャウンプル、マールワー、およびデカン高原北部(バフマニー朝)にも競合するスルターン朝が形成された[114]。
- ^ 近年開催された2つの展覧会でもこうした関係性が強調されている[119]。
- ^ ジャカルタのイスティクラール・モスクやイスラマバードのファイサル・モスクなどがある[155]。
- ^ ブルネイのスルタン・オマル・アリー・モスク、改修後のメッカの聖モスクなどがある[156]。
- ^ ベイルートのムハンマド・アミン・モスク、カサブランカのハサン2世モスクなどがある[157]。
- ^ 「イスラーム美術は初期はビザンチンとペルシアに基礎を置いて注目すべき傑作を生み出したが、モスクの多柱式の空間を通じてその固有性も明確に打ち出されている。イスラーム教徒が集まり儀式的な祈りを行うために横方向の「トポロジー的な」配置が採用され、水平な長方形をした広間が生まれたのである。」[訳語疑問点][159]。
- ^ ミリアム・ローゼン=アヤロンの研究によれば、この間取りは堅材でできた初めてのモスクであったアル=アクサー・モスクの建設と共に生まれたものと考えられる。実際には、ダマスカスのウマイヤド・モスクがその祖型となっていた[26][160]。
- ^ 特にメスキータ、メディナ・アサーラの宮殿、さらにはグラナダのアルハンブラ宮殿などが当てはまる[164]。
- ^ そのさまざまな側面については、Déroche, François (dir.). Manuel de codicologie Paris, 2000を参照
- ^ ビフザードを称えた『著名なる者に関する書』(16世紀初頭)に評価が記録されている[190]。
- ^ 美術品は宮廷だけでなく都市のブルジョワたちにとっても重要な役割を担っていた。これらの品々は富の外面的な現れとして宮殿に次いで頻繁にテクストで言及され、その制作にはさまざまな管理制限の手段が行使されていた[195]。
- ^ 偶像崇拝の禁止は三次元芸術をほぼ完全に追放した。グラナダのアルハンブラ宮殿の獅子や、アナトリアの一部のモスクの柱頭を装飾している具象的な彫刻などは確かにあるが、恐らくは例外的なものであった[196]。
- ^ イスラームの芸術的な方法は小さな品物、置物に、大いなる完璧さを与えるのに寄与している[197]。
- ^ イスラーム世界で中国からの陶器の輸入を盛んにしたのも、シャリーアによって金銀の食器が使えなかった事情が一因だった[198]。
- ^ エナメル彩色のガラスは13世紀にはヴェネツィアでも作られるようになり、ガラス交易ではシリアやエジプトから素材を入手していた記録がある。ヴェネツィアはムラノ島に職人を集めてガラス技術を発展させ、独自のヴェネツィアン・グラスを確立した[215]。
- ^ きせガラス。透明なガラスの上に色ガラスを被せてから削る技法[217]。アール・ヌーヴォーなどの作家も好んで使用した。
- ^ ダマスカスのウマイヤド・モスクを建設したのがビザンチンの芸術家たちであったと思われることも想起される。同様に、主にエジプトやシリアに由来する、キリスト教の図像を持つ作品も数多く存在している[243]。
- ^ 例えばゴンバデ・カーブースで誕生したイスラームの葬送塔のモチーフはゾロアスター教の儀式に由来するものである。マズダー教の何らかの記念モニュメントにその背景があるという仮説も可能である[244]。
- ^ 『シャー・ナーメ』の12の場面が描かれた13世紀のミーナーイー手のコップがあり、これは物語を想起・朗唱する助けとなっていたと考えられている。写本を読むよりも記憶から朗唱する方が一般的な鑑賞方法だったのである[249]。
- ^ イスラーム美術を題材とした文芸作品もある。ノーベル文学賞受賞作家でもあるオルハン・パムクは、小説『わたしの名は赤』で、オスマン帝国時代の細密画や画家を題材としている[256]。
- ^ イスラーム美術の蔓草模様はアラベスクとも呼ばれ、狭義には蔓草の連続植物文、広義にはイスラーム美術の文様全般を指す。いずれにしても西洋からの呼び方である[257]。
- ^ ラスター彩は、アッバース朝のイラク、ファーティマ朝のエジプト、セルジューク朝のイランと生産地が移っており、職人の移住が行われたと推測される[277]。
- ^ 『ヒスバの書』の著者は、12世紀から13世紀のアッサクティーや、16世紀のイブン・バッサームらが知られている[280]。
- ^ ルーヴル美術館によれば、「(イスラームの)贅沢品は既にフランス王室のコレクションに加わっていた。美術品部門に展示されている、11世紀初頭にエジプトでカットされた天然水晶の美しい水差しは、サン=ドニの修道院のSugerにより寄贈されたものである。」[286][287]
- ^ 考古学者の佐々木達夫は、オマーン政府が古代オマーン人の文明の調査は許可してもイスラーム時代の調査は許可せず、古いモスクなどは破壊すらしてしまうと記している[289]。
- ^ 旧市街の多くは19世紀から20世紀の建造で、シバームやイチャン・カラ、ザンジバル島のストーン・タウンなどがそれにあたる[297]。
- ^ サマルカンドではビービー・ハーヌム・モスクが修復されて建造当時の姿に近くなり、その後サマルカンドは世界遺産に登録された[298]。
- ^ 佐々木達夫『陶磁器、海をゆく』の第2章「遺跡発見の旅から発掘へ」全体で、イスラーム地域の発掘調査に関する筆者の経験と苦労が語られている[300]。
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