シャー・ナーメ
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注釈
- ^ サーマーン朝のもとでは、フェルドゥスィーのみならず、預言者ムハンマドの最良の『ハディース(言行録)』を編纂したブハーリー、アヴィケンナの名で知られる哲学者・科学者のイブン・スィーナー、歴史家タバリーなど、当時のイスラム文明を代表する知識人が輩出した。永田(2002)p.10
- ^ 「イーラーンシャフル」の範囲はだいたい、東はアム川、西はメソポタミア、北はカスピ海の南岸にかけてであり、現在のイランの国土よりも相当広い。清水(2002)p.60
出典
- ^ 『イランを知るための65章』 岡田久美子・北原圭一、鈴木珠里編著 明石書店 2009年11月20日 p.18 ISBN 9784750319803
- ^ 清水(2002)p.70
- ^ a b 清水(2002)p.60
- ^ a b c d フェルドウスィー (2014). 王書:古代ペルシャの神話・伝説. 岩波文庫
- ^ 黒柳恒男 (1966). “フィルドゥスィー以前のシャー・ナーメ”. 東京外国語大学論集 14: 73-89.
- ^ a b 清水(2002)pp.90-91
- ^ 本田実信「VI イラン」『アジア歴史研究入門』第4巻(内陸アジア・西アジア)、同朋舎出版、1984年9月、p. 625-636
- ^ 清水(2002)p.95
- ^ 羽田(2002)p.214
- ^ a b c 新井&八尾師(2002)p.427
シャー・ナーメ
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ペルシアの叙事詩シャー・ナーメでは、イーラーンがアールヤー - Āryaの土地を意味するように、トゥーラーンという単語 (トゥールヤー - Tūryaの土地を意味する) はイラン東部の境界、アムダリヤ川の対岸より先に居住する住民を表していた。シャー・ナーメに収録されている創世神話によれば、フェリドゥーン王は3人の息子を儲けた、サルムとトゥール、イーラジュ(ペルシア語版、英語版)であり、彼らは世界を三分し、小アジアはサルムにトゥーラーンはトゥールに、 イーラーンはイーラジュに与えられた。兄2人は1番年下の弟を殺害したが、彼らは弟の孫により復讐され、イーラーンの支配者となった。しかし、シャー・ナーメでは戦争は世代を超えて継続されたと記されており、トゥーラーンという単語は約150回使用され、イーラーンという単語は約750回使用されている。 シャー・ナーメには以下の文が記されている。 نه خاکست پیدا نه دریا نه کوهز بس تیغداران توران گروه トゥーラーン軍の剣士の多くは 砂、海、山脈を見たことがない人々だ。 تهمتن به توران سپه شد به جنگبدانسان که نخجیر بیند پلنگ 力強い肉体を持ったロスタムはトゥーラーン軍との戦いに赴いた、 獲物を見つけたヒョウのごとく。
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