シャー・チェラーグ廟とは? わかりやすく解説

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シャーチェラーグ‐びょう〔‐ベウ〕【シャーチェラーグ廟】

読み方:しゃーちぇらーぐびょう

《Bogh'e-ye Shāh Cherāghイラン南西部都市シーラーズ中心部にある霊廟イスラム教シーア派第8代イマームであるレザーの弟、通称シャー=チェラーグの墓があった場所に14世紀建造内壁ドーム天井は鏡のモザイク装飾されていることで知られる


シャー・チェラーグ廟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/10 20:20 UTC 版)

シャー・チェラーグ廟
シャー・チェラーグ廟のパノラマ写真
基本情報
所在地 イラン, シーラーズ
座標 北緯29度36分34.58秒 東経52度32分35.88秒 / 北緯29.6096056度 東経52.5433000度 / 29.6096056; 52.5433000座標: 北緯29度36分34.58秒 東経52度32分35.88秒 / 北緯29.6096056度 東経52.5433000度 / 29.6096056; 52.5433000
宗教 イスラム教シーア派
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シャー・チェラーグ廟 (ペルシア語: حرم شاه چراغ )は、イラン, シーラーズに建設された霊廟であり、モスクである。シャー・チェラーグは「光の王」の意である。

霊廟の主は、シーア派十二イマーム派の第八代イマームであるアリー・リダーの兄弟であり、第七代イマームであるムーサー・カーズィムの子、ムハンマドとアフマドである。この二人は、アッバース朝シーア派迫害から、この町に移ってきた。

名前の由来

廟が光っていたことから、光源を探したところ、光を放つ墓が発見された。その中には、鎧をまとった遺体が収められており、al-‘Izzatu Lillāh, Ahmad bin Mūsā(この誇りは神のもの、ムーサーの子アフマド)というリングを帯びていた事から、この廟の名前の由来となった。

ギャラリー

元は普通の廟であったが、14世紀に芸術を好んだ Tashi Khatun皇太后によって、色が付いたを使ったモザイクデコレーションが施され、現在の姿となった[1]

関連項目

出典

  1. ^ 世界の絶景 教会&寺院 96p

外部リンク



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