フランス国立科学研究センターとは? わかりやすく解説

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フランス国立科学研究センター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/13 07:12 UTC 版)

フランス国立科学研究センター
正式名称 Centre national de la recherche scientifique
日本語名称 フランス国立科学研究センター
略称 CNRS
組織形態 科学技術的性格公施設法人(EPST)
所在地 フランス, パリ16区
3 rue Michel-Ange 75016 Paris
北緯48度50分51.5秒 東経2度15分50.4秒 / 北緯48.847639度 東経2.264000度 / 48.847639; 2.264000
人数 31,637
所長 アントワーヌ・プチ (2018年2月24日 -)
設立年月日 1939年10月19日
所管 国民教育・高等教育・研究省
ウェブサイト http://www.cnrs.fr
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フランス国立科学研究センター(フランスこくりつかがくけんきゅうセンター、Centre national de la recherche scientifiqueCNRS)は、1939年10月19日設立のフランス最大の政府基礎研究機関である。教職員総数31,637人(うち正規教職員24,552人、正規研究者11,137人、博士課程学生1,639人)。予算は約33億ユーロ[1]

組織

CNRSには現在10の研究所 (Institut) がある。[2]

  • 1) 生命科学研究所
  • 2) 化学研究所
  • 3) 環境科学研究所
  • 4) 人文・社会科学研究所
  • 5) 情報科学研究所
  • 6) 工学・システム科学研究所
  • 7) 国立数学研究所
  • 8) 物理学研究所
  • 9) 国立原子・素粒子物理学研究所
  • 10) 国立宇宙科学研究所

科学研究国家委員会(Comité national de la recherche scientifique、CoNRS)は、研究者を発掘し評価する機関で、科学研究を41の研究分野(section)ないし5つの学際的研究委員会に割りふる役目も負っている。研究グループは1つないし複数の研究部門(département)に属するが、各研究者が所属するのは1つの研究部門だけである。

運営上の理由でCNRSは18の地域区分(うち、イル=ド=フランス地域圏で5区分)を設けている。

CNRSは研究ユニット(名称:laboratoire 、通称:unité )をセンター独自で立ち上げる独自研究ユニット(unité propre de recherche、 略称:UPR)ほか、大学その他の高等教育機関やその他の研究機関と共同で立ち上げる共同研究ユニット(unité mixte de recherche、略称:UMR)こともある。各研究ユニットには個別のコード番号が与えられ、大学教授やCNRSの研究部長などがディレクターとして統括する。

現在CNRSの研究者は1,116の研究ユニットで活動中で、共同研究に参画する組織外の研究者を含めた総員の85%を占める。このような大規模な共同研究グループ組織はフランスの高等教育においては例外的である。

CNRS本部の所在地は3 rue Michel-Ange 75016 Paris (パリ16区) である。

雇用

CNRSの正規教員・研究者には序列による2分類がある。

  • Directeur de recherche (研究部長)、chargé de recherche (研究担当)
  • Ingénieur de recherche、ingénieur d'études (研究技術者)

原則として研究部長が研究グループを率いる。

正規職員(研究技術者、技術・運営職員)全員の採用は、毎年全国規模で実施する採用試験による。合格者は公務員の地位と処遇を得る。

国際活動

CNRSはブリュッセル北京東京ハノイワシントンD.C. ボンモスクワチュニスヨハネスブルグサンチアゴに連絡事務所をおく。

略史

センターはアルベール・ルブラン大統領令により1939年に創設された。1954年以後毎年、フランス人科学者や若い研究者を金・銀・銅のメダルで表彰してきた。1966年には組織を改変し、2つの専門機関が誕生した。1つは1967年発足の国立天文地球物理研究所で、これは1985年に国立宇宙科学研究所(INSU)に改組された。もうひとつは1971年発足の国立核物理素粒子物理研究所(IN2P3)()である。

近年CNRSの活動を見直す機運が高まり、幅広い変革が課題になっている。特に問題となっているのは、人材採用、待遇、キャリア管理、評価手法である。最近の政府プロジェクトには、CNRSを研究プロジェクト毎にサポートする機関へと組織変更することや、CNRSの研究者を各大学に再配置することなどがある。

最高責任者

1956年、Gaston Dupouy総裁が退官する前に役職名が「総裁」から「理事長」に変更され。後任のJean Coulombは理事長として就任。

歴代総裁一覧

  • 1938-1940 (CNRSA) : Henri Longchambon
  • 1939-1940 および1943-1944 (アルジェ) : Henri Laugier
  • 1940年6月 - 8月 : Jean Mercier
  • 1940-1944 : Charles Jacob
  • 1944-1946 : Frédéric Joliot
  • 1946-1950 : Georges Teissier
  • 1950-1957 : Gaston Dupouy

歴代理事長一覧

  • 1957-1962 : Jean Coulomb
  • 1962-1969 : Pierre Jacquinot
  • 1969-1973 : Hubert Curien
  • 1973-1976 : Bernard P. Gregory
  • 1976-1979 : Robert Chabbal
  • 1979-1981 : Jacques Ducuing
  • 1981-1982 : Jean-Jacques Payan
  • 1982-1986 : Pierre Papon
  • 1986-1988 : Serge Feneuille
  • 1988-1994 : François Kourilsky
  • 1994-1997 : Guy Aubert
  • 1997-2000 : Catherine Bréchignac
  • 2000-2003 : Geneviève Berger
  • 2003-2006 : Bernard Larrouturou
  • 2006-2010 : Arnold Migus

歴代所長

  • 2010-2017 : Alain Fuchs
  • 2017年10月24日 - 2018年1月24日(代理):Anne Peyroche
  • 2018年1月24日 - : Antoine Petit


付属研究所

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ Le CNRS | CNRS”. www.cnrs.fr. 2018年12月20日閲覧。
  2. ^ Le CNRS | CNRS” (フランス語). www.cnrs.fr. 2018年10月3日閲覧。

外部リンク



フランス国立科学研究センター(CNRS)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:24 UTC 版)

クロード・メイヤスー」の記事における「フランス国立科学研究センター(CNRS)」の解説

1964年、フランス国立科学研究センター(CNRS)に移り当時ディレクターだったピエール・モンベーク(1908年 - 1987年)と共同研究行った同年より、ジャン・ルーシュ1917年 - 2004年)を代表者とする協働研究プログラムRCP第11番ニジェール川蛇行域の民俗学(Ethnosociologie de la Boucle du Niger)」に参加した1964年学位論文コートジボワールグロ族における経済人類学Anthropologie économique des Gouro de Côte d'Ivoire)』を出版し大きな反響呼んだ1964年11月から1965年7月まで、マリフィールドワーク実施し、サハラ・スーダン地域部族カースト制奴隷制研究行った1965年11月から1966年11月にかけて、メイヤスーはダカール開発計画研究所在籍しセネガルソニンケ族について研究1966年8月にはゴイ短期滞在ソニンケ族カースト制調査奴隷制について考察開始した。さらに1966年から1967年にはマリ滞在しマルカ族の社会、経済政治調査した1967年から1968年ジャン・ルーシュ後任として協働研究プログラムリーダーになった1968年4月マリ行きカンガバのカマブロンで7年一度行われる儀式観察した協働研究プログラム第11番1968年12月終了し今度CNRS第5部門の第25セクション支援のもと「アフリカ経済システムSystèmes économiques africains)」研究班リーダーになった。しかし、協働研究プログラム開始した研究続行した。そこで、1969年1月から2月マリ追加調査行き、ワガドゥのソニンケ族とその隣接地域にいるムーア人観察したその際も、部族社会的・経済体制注意深く研究した1970年9月から12月にかけて、セネガル再度向かいソニンケ語フランス語語彙目録レキシコン作成トゥクロール族カースト制研究行い現地経済・社会史に関するデータ収集行った1960年代後半から1970年代後半にかけて、メイヤスーは「トゥルノン通りセミナーle séminaire de la rue de Tournon)」として知られる講義担当し多く人類学者およびに他分野研究者集った。このセミナー知的営為激し情熱結びつける役割果たしたセミナー終了後、何冊か論文集出版された。その中の一つアフリカ飢饉を救うのは誰か?(Qui se nourrit de la famine en Afrique?)』(1974年)は、研究者だけでなく一般読者に対して大きな衝撃与えた1971年高等研究実習院第6部門でセミナー開いた1974年上級研究員になった1970年代半ばから、フィールドワーク得た知見に基づく理論的原理総合し始めた1975年著書家族共同体理論(Femmes, greniers et capitaux)』を出版した。これは、家庭内生産様式帝国主義システムによる搾取帰結考察した研究である。同書少なくとも6ヶ国語ドイツ語ポルトガル語日本語スペイン語イタリア語、英語)に翻訳された。1975年10月から12月まで、マリ滞在し現地伝承と歴史の関係を調査した1977年南アフリカ共和国訪問しアパルトヘイト関心を抱くとともにこれを非難した。この問題に関して著書最後白人――南アフリカ様式Les derniers Blancs : le modèle sud-africain)』(1979年)を書いた同年セネガルマリ最後フィールドワーク行きセネガル都市部住民状況を、ディアマ・ダムとマナンテリ・ダムの建築とそれに伴う移住注目しつつ考察した1979年研究班ER225番「農村社会発展政治学(Sociétés rurales et politiques du développement)」の共同リーダー就任し研究代表者となった1982年研究班225番「南部アフリカ(Afrique australe)」のリーダーとなる。1986年研究グループGR846番「南部アフリカ(Afrique Australe)」を立ち上げ研究者大学教員博士課程学生人類学者社会学者経済学者束ねた。この研究グループ学際的な研究アプローチをとり、アフリカフランス研究者間の対話重視した幾度かの名称変更があったものの、1998年までこの研究グループ続いた2000年代に入ると、メイヤスーは聖書に関する批判的人類学取り組むようになり、特に家族関係に注意向けた2005年1月2日クロード・メイヤスーパリ没した

※この「フランス国立科学研究センター(CNRS)」の解説は、「クロード・メイヤスー」の解説の一部です。
「フランス国立科学研究センター(CNRS)」を含む「クロード・メイヤスー」の記事については、「クロード・メイヤスー」の概要を参照ください。

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