ていこく‐しゅぎ【帝国主義】
帝国主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/20 06:16 UTC 版)
帝国主義(ていこくしゅぎ、英: imperialism[1], Caesarism[2][3])またはインペリアリズムとは、一つの国家または民族が自国の利益・領土・勢力の拡大を目指して[4][1][5]、政治的・経済的・軍事的に他国や他民族を侵略・支配・抑圧し[1][5]、強大な国家をつくろうとする運動・思想・政策[4][5]。「帝」という字は「最高の神」、天下の「きみ」を意味し[6]、インペリアリズム(imperialism)は「帝国主義」、「帝政」[7]、「皇帝制」[8]、「広域支配主義」などと和訳される[9]。
注釈
- ^ "imperialism"はかつては「帝位」とも訳された[15]。
- ^ 原文:
- ^ 大澤覚の学術論文によれば、マルクスは「イギリスの憲法」の中で次の通り述べている[13]。
- ^ 原文:Imperialism ... 1. An imperial system of government; the rule of an emperor ... 2. The principle or spirit of empire; advocacy of what are held to be imperial interests[25].
- ^ 「凡例」によれば「語義の配列順は, 原則として, 現代の用法として最も一般的なものから順次特殊な語義に及ぶようにした. … 品詞別に123で語義を大別し, 必要に応じてabcと細別した. また, 特に必要な場合にはABCを用いて, より大きな範疇を示した」[26]。
- ^ 語義は 1 2 3 …の数字で区分し[28]、使用される頻度順に並べた[28]。一つの語義の中で同種の訳語は (,) で並べ[28]、大きな区分を(;)で示した[28]。
出典
- ^ a b c デジタル大辞泉. コトバンク. 2019年3月5日閲覧。
- ^ a b c d 竹林 2002, p. 358.
- ^ a b 南出 & 中邑 2023, p. 293.
- ^ a b 精選版 日本国語大辞典. コトバンク. 2019年3月5日閲覧。
- ^ a b c 大辞林 第三版. コトバンク. 2019年3月5日閲覧。
- ^ a b c d 小川 et al. 2017, p. 415.
- ^ a b c d e 竹林 2002, p. 1231.
- ^ a b c 淡路 1980, p. 104.
- ^ a b 中西 2005, pp. 97–98.
- ^ a b 吉家 2019.
- ^ 『日本大百科全書』「インペリウム」
- ^ a b c https://ejje.weblio.jp/content/imperialism
- ^ a b c 大澤 2006, p. 51.
- ^ a b 金 1994, p. 259.
- ^ 陳 2013, pp. 53–54.
- ^ 吉永 2005, p. 99.
- ^ a b Britannica 2019.
- ^ 中西 2005, p. 92.
- ^ 中西 2005, pp. 91–92.
- ^ a b 中西 2005, p. 95.
- ^ a b 横森 1977, p. 88(3).
- ^ 植村 1997, p. 13.
- ^ a b スパーバー 2015b, p. 32-35.
- ^ a b Magnusson, Lars (1991) (Swedish). Teorier om imperialism. Södertälje. p. 19. ISBN 978-91-550-3830-4
- ^ a b Simpson & Weiner 2004, p. 712.
- ^ 竹林 2002, p. xi.
- ^ 小学館ランダムハウス英和大辞典第二版編集 編「imperialism」 『ランダムハウス英和大辞典』小学館、1993年、1345頁。
- ^ a b c d 小学館ランダムハウス英和大辞典第二版編集 編「この辞典の使い方」 『ランダムハウス英和大辞典』小学館、1993年、(10)頁。
- ^ https://ejje.weblio.jp/content/Caesarism
- ^ 石川 1993, p. 573.
- ^ a b c d e f g 中村 2009, p. 42.
- ^ 小林康夫・船曳健夫編『知の論理』173 - 183頁 東京大学出版会
- ^ 「ナショナリズム 1890-1940」 p66-69 オリヴァー・ジマー 福井憲彦訳 岩波書店 2009年8月27日第1刷
- ^ 「帝国と帝国主義」p27 木畑洋一(「帝国と帝国主義 21世紀歴史学の創造4」木畑洋一・南塚信吾・加納格著 所収)有志舎 2012年9月30日第1刷
- ^ 「帝国と帝国主義」p29 木畑洋一(「帝国と帝国主義 21世紀歴史学の創造4」木畑洋一・南塚信吾・加納格著 所収)有志舎 2012年9月30日第1刷
- ^ 「新書アフリカ史」第8版(宮本正興・松田素二編)、2003年2月20日(講談社現代新書)p288
- ^ 「帝国主義」(ヨーロッパ史入門)p30-31 アンドリュー・ポーター著 福井憲彦訳 岩波書店 2006年3月28日第1刷
- ^ 「帝国主義」(ヨーロッパ史入門)p32 アンドリュー・ポーター著 福井憲彦訳 岩波書店 2006年3月28日第1刷
- ^ 「帝国主義」(ヨーロッパ史入門)p32-33 アンドリュー・ポーター著 福井憲彦訳 岩波書店 2006年3月28日第1刷
- ^ 「帝国主義」(ヨーロッパ史入門)p114-115 アンドリュー・ポーター著 福井憲彦訳 岩波書店 2006年3月28日第1刷
- ^ 「帝国主義」(ヨーロッパ史入門)p36-37 アンドリュー・ポーター著 福井憲彦訳 岩波書店 2006年3月28日第1刷
- ^ 「帝国主義」(ヨーロッパ史入門)p39-42 アンドリュー・ポーター著 福井憲彦訳 岩波書店 2006年3月28日第1刷
- ^ 『物語 ベルギーの歴史 ヨーロッパの十字路』p77 松尾秀哉 中央公論新社 2014年8月25日発行
- ^ 「南北・南南問題」p11 室井義雄 山川出版社 1997年7月25日1版1刷発行
- ^ 「南北・南南問題」p13 室井義雄 山川出版社 1997年7月25日1版1刷発行
- ^ 「商業史」p247 石坂昭雄、壽永欣三郎、諸田實、山下幸夫著 有斐閣 1980年11月20日初版第1刷
- ^ 「商業史」p245 石坂昭雄、壽永欣三郎、諸田實、山下幸夫著 有斐閣 1980年11月20日初版第1刷
- ^ 「帝国主義」(ヨーロッパ史入門)p66 アンドリュー・ポーター著 福井憲彦訳 岩波書店 2006年3月28日第1刷
- ^ 「帝国主義」(ヨーロッパ史入門)p67 アンドリュー・ポーター著 福井憲彦訳 岩波書店 2006年3月28日第1刷
- ^ 「帝国主義」(ヨーロッパ史入門)p73-74 アンドリュー・ポーター著 福井憲彦訳 岩波書店 2006年3月28日第1刷
- ^ 『鉄路17万マイルの興亡 鉄道からみた帝国主義』p62 クラレンス・B.デイヴィス, ケネス・E.ウィルバーン・Jr. 編著 原田勝正・多田博一監訳 日本経済評論社 1996年9月25日第1刷
- ^ 「新版 エジプト近現代史 ムハンマド・アリー朝成立からムバーラク政権崩壊まで」p122 山口直彦 明石書店 2011年10月25日新版第1刷発行
- ^ 「新版 エジプト近現代史 ムハンマド・アリー朝成立からムバーラク政権崩壊まで」p150 山口直彦 明石書店 2011年10月25日新版第1刷発行
- ^ 「新版 エジプト近現代史 ムハンマド・アリー朝成立からムバーラク政権崩壊まで」p151 山口直彦 明石書店 2011年10月25日新版第1刷発行
- ^ 「パナマを知るための55章」p98-100 国本伊代・小林志郎・小澤卓也著 明石書店 2004年8月31日初版第1刷発行
- ^ 「新書アフリカ史」第8刷(宮本正興・松田素二編)、2003年2月20日(講談社現代新書)p291
- ^ 「アフリカ経済論」p51 北川勝彦・高橋基樹編著 ミネルヴァ書房 2004年11月25日初版第1刷
- ^ 「帝国と帝国主義」p41 木畑洋一(「帝国と帝国主義 21世紀歴史学の創造4」木畑洋一・南塚信吾・加納格著 所収)有志舎 2012年9月30日第1刷
- ^ 「人道的帝国主義」書評 論理的な批判、切れ味も鋭く|好書好日
- ^ Monthly Review | Humanitarian Imperialism: Using Human Rights to Sell War
- ^ 現代の帝国主義 - 新書マップ
- ^ “なぜプーチン氏は破滅的な決断を下したのか ウクライナ侵攻の背景にある「帝国」の歴史観:東京新聞 TOKYO Web” (日本語). 東京新聞 TOKYO Web. 2022年2月27日閲覧。
- ^ 「新版 マス・コミュニケーション概論」p207 清水英夫・林伸郎・武市英雄・山田健太著 学陽書房 2009年5月15日新版初版発行
- ^ 「世界地理大百科事典1 国際連合」p318 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店
- ^ 「世界地理大百科事典1 国際連合」p310 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店
- ^ 「新版 マス・コミュニケーション概論」p208 清水英夫・林伸郎・武市英雄・山田健太著 学陽書房 2009年5月15日新版初版発行
帝国主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 09:02 UTC 版)
「アメリカ合衆国の保守主義」の記事における「帝国主義」の解説
19世紀が終わり近くなると、アメリカ合衆国は世界の強国となり、ハワイ、キューバ、フィリピンおよびプエルトリコといった海外領土を獲得した。2大政党は1896年大統領選挙で再編成され、ウィリアム・マッキンリーが率いる共和党は、事業、健全な金(硬貨)、積極的な外交政策を行う党となり、ウィリアム・ジェニングス・ブライアンが率いる民主党は、労働者、小農、「自由銀」および反帝国主義をうたう党となった。ブライアンは宗教の原理主義者や白人至上主義者にも人気があった。 1900年の選挙では帝国主義が勝利し、アメリカがハワイ、プエルトリコ、グアム、フィリピンおよび一時的だがキューバを所有するというマッキンリーの政策を承認した。マッキンリーが暗殺された後を継いだセオドア・ルーズベルトは、アメリカの軍事と海軍の優秀さを促進させ、アメリカは未開人を文明化させ近代化させる任務があるというマッキンリーのテーマを引き継いだ。アメリカ帝国主義は、企業、宗教および軍事に利点があると考えていたことが幻想だと分かった。1908年、最も熱心な帝国主義者、セオドア・ルーズベルト、ウィリアム・ハワード・タフトおよびエリフ・ルートがその注意を国内で陸軍と海軍を作り上げることに向け、さらにパナマ運河を建設することに向けた。彼らはそれ以上の拡大という概念を取り下げ、1920年にはフィリピンを独立させることに合意した。
※この「帝国主義」の解説は、「アメリカ合衆国の保守主義」の解説の一部です。
「帝国主義」を含む「アメリカ合衆国の保守主義」の記事については、「アメリカ合衆国の保守主義」の概要を参照ください。
帝国主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:41 UTC 版)
「ヴィクトリア (イギリス女王)」の記事における「帝国主義」の解説
ヴィクトリア朝64年の間に大英帝国は世界中の非白人国家・民族集団に対して覇道の限りを尽くし、その領土を10倍以上に拡大させ、地球の全陸地面積の4分の1、世界全人口の4分の1(4億人)を支配する史上最大の帝国となるに至った。大英帝国の維持・拡大のためにヴィクトリアとその政府は世界各地で頻繁に戦争を行い、ヴィクトリア朝全期を通じてイギリスが戦争をしていない時期は稀であった(ヴィクトリア朝64年間にイギリス軍が全く戦闘しなかった時期は2年だけだったといわれる)。 ヴィクトリアは非白人国家に対する帝国主義には全面的に賛成していた。「帝国主義には二種類あり、一つは皇帝専制などの誤った帝国主義。もう一つは平和を維持し、現地民を教化し、飢餓から救い、世界各地の臣民を忠誠心によって結び付け、世界から尊敬される英国の帝国主義である。英国の領土拡張は弱い者イジメではなく、英国の諸制度と健全な影響を必要とあれば武力をもって世界に押し広げるものである。」とするディズレーリ内閣植民相カーナーヴォン伯爵の見解を熱烈に支持していたためである。 イングランド人、スコットランド人、アイルランド人、ボーア人、アフリカ人、アラブ人、インド人、中国人、ビルマ人、アボリジニ、マオリ、ポリネシア人、インディアン、エスキモーなど無数の人種、また三大宗教やヒンドゥー教をはじめとする様々な宗教を版図におさめる大英帝国には統一感はまるでなかったが、その彼らを「女王陛下の臣民」として一つに結び付け、統合の象徴の役割を果たしたのがヴィクトリア女王であった。 この時期の英国君主が女性であったことは大英帝国の成功の秘訣であった。実際のヴィクトリアはイギリスの植民地支配を揺るがす反乱に対して容赦のない主張をしていたが、被支配民の間では「帝国の母」としてその「子供」たちである世界中の臣民たちに慈愛を注ぐヴィクトリアのイメージが広まり、大英帝国の支配への抵抗心を和らげたのである。カナダのインディアンのスー族やクリー族はヴィクトリアを「白い母」と呼んで敬意を払っていた。あるインド藩王はヴィクトリアのインド女帝即位にあたってのデリーでの大謁見式(ヴィクトリアは欠席)において「ああ、母上。ロンドンの宮殿にいます親愛なる陛下。」と呼びかけている。1865年に反乱を起こしたジャマイカの黒人たちもヴィクトリア女王個人には忠誠を誓っており、裁判所を襲撃して囚人を解放した際に「我々はヴィクトリア女王陛下に反乱を起こしているわけではないから、陛下の所有物を略奪してはならない」として囚人服を置いていかせたという。かのガンジーもヴィクトリアをインドの自由のために尽くす女帝として敬愛していた。 ヴィクトリア自身も支配下におさめた非白人国家の王や首長の子供たちを後見したり、教育を与えたり、自分の名前(男性の場合はヴィクトリアの男性名ヴィクターや夫の名前アルバートなど)を与えるなどして「女王は人種に寛大」というイメージを守ることに努めた。
※この「帝国主義」の解説は、「ヴィクトリア (イギリス女王)」の解説の一部です。
「帝国主義」を含む「ヴィクトリア (イギリス女王)」の記事については、「ヴィクトリア (イギリス女王)」の概要を参照ください。
帝国主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)
「ウィンストン・チャーチル」の記事における「帝国主義」の解説
チャーチルはロイド・ジョージと並ぶ「急進派のリーダー」として知られていたが、1909年頃からロイド・ジョージともども自由帝国主義者となった。チャーチルの帝国主義はある程度の柔軟性があったものの、基本的には絶頂期のヴィクトリア朝大英帝国が未だ続いているかのような幻想の帝国像を思い描いていた。若い時のキューバでの反乱鎮圧経験から、「イギリス人の支配民族としての責任感を強くすれば、搾取ではなく、被支配民族に慈悲を与えるものとなっていく」という考えを抱いていた。 チャーチルは第二次大戦中の1942年11月に「私は大英帝国を清算するために首相になったのではない」と宣言した。これはかねてから大英帝国の破壊を目論んでいたアメリカのルーズベルト大統領をけん制した演説だった。ルーズベルトはしばしばチャーチルの帝国主義精神を批判し、面と向かって「貴方の血には400年の植民地獲得の本能が流れている」などと発言してきたこともある。一方チャーチルの方もルーズベルトに「貴方は大英帝国を無くそうとしているとしか思えない」と言い返したことがある。 チャーチルが独伊で独裁政治を敷くアドルフ・ヒトラーやムッソリーニに対して抱いていた共感の一つに「優等文明は劣等文明を支配・指導する」という理論があった。 チャーチルは常々インド人やインド文明を「劣等視」し、「イギリスによって支配されることが必要不可欠」と確信していた。「インド人に選挙制度を与えるべきか否か」聞かれた際にチャーチルは「彼らはあまりにも無知なので誰に投票したらいいか分かるはずもない。彼らは人口45万人の村で4、5人が集まって村の共通の問題を討論するような簡単な組織さえ作ることができない身分の卑しい原始的人種なのだ。」と答えている。 世界中の人たちが、「日露戦争で(イギリスの同盟国ではあったものの)有色人種国家の日本人が白人種国家のロシアを打ち破ったこと」を目のあたりにし、第二次世界大戦が始まる頃には、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど白人自治政府は帝国に忠実だったものの、インドやマレー半島、ビルマなどの有色人種の植民地の住人たちはもはや忠実ではなくなっていた。この頃には有色人たちも情報を多く入手するようになっており、「戦争の意味」や「帝国に支配され続ける意味」に疑問を感じはじめていた。 そして彼らの多くが枢軸国と連携することで、過酷なイギリスの植民地支配に立ち向かった。たとえばイギリス委任統治領パレスチナのイスラム教最高指導者(大ムフティー)であるアミーン・フサイニーはドイツへ逃れ、「ムスリム解放軍」を組織してイギリスに反旗を翻した。英領ビルマの民族主義者アウンサンも日本へ逃れて「ビルマ防衛軍」を組織した。イギリス領インド帝国のチャンドラ・ボースもドイツで「自由インド部隊(ドイツ語版)」、日本や日本統治下のシンガポールで「インド国民軍」を組織し、イギリスと戦った。 1942年の日本軍のマレー作戦によるシンガポール陥落は、アジアにおけるイギリスの威信を決定的に崩壊させた。勇気を得たインド人たちは、同年から反英闘争「インドから出て行け」運動を開始した。これに対してチャーチルは徹底的弾圧をもって臨み、ガンジーやネルー、ヒンズー教指導者など1万人以上の者を投獄した。だが、それもむなしく大戦が終わるまでにイギリスの植民地支配体制は根底から揺さぶられた。枢軸国と協力したチャンドラ・ボースやラス・ビハリ・ボース、A.M.ナイルそして彼らの指揮下にあったインド国民軍の兵士たちが殉教者としてインド国民の間で英雄視されていくことにイギリス人たちは落胆した。 チャーチルが恐れていた通り、戦後の労働党政権がインドの民族主義者たちに譲歩の姿勢を見せた時、後は全てが時間の問題となり、一気にインド独立まで突き進んでいった。イギリスがインドを放棄した後、マレーやビルマなど他のアジア植民地もなし崩し的に独立していった。波及はアジアに留まらなかった。第二次世界大戦中、イギリス軍はアフリカ植民地の住民たちを駆りだしてドイツ軍や日本軍と戦わせていた。この戦いを通じてアフリカ人兵士たちは「絶対的支配者」だと思っていたイギリス人が無敵の存在でもなんでもないことを知った。彼らは復員した後、第二次世界大戦での見聞を生かしてイギリス植民地支配との戦いの主力となり、ついにアフリカ各国の独立を実現した。 戦後のアジアとアフリカの独立の嵐が過ぎ去ったあと、イギリスに残されたものはイギリス連邦という加盟国を縛る規則が何もなく、「女王を戴くか否か(=君主制を維持するか共和制へ移行するか)」までもが自由という奇妙な連邦だけだった。 ヒトラーも自殺の少し前に「大英帝国はすでに滅びる運命にある」と予言し、チャーチルを「帝国の墓掘り人」と呼んで批判していた。ヒトラーによれば「チャーチルがフランス戦後すぐにドイツとの講和に応じていれば、大英帝国は引き続き繁栄を謳歌していただろう」という。そして「こんな大酒のみのユダヤ化した半アメリカ人(チャーチル)ではなく、小ピットのような人物がイギリスを差配するべきだった」と結論している。
※この「帝国主義」の解説は、「ウィンストン・チャーチル」の解説の一部です。
「帝国主義」を含む「ウィンストン・チャーチル」の記事については、「ウィンストン・チャーチル」の概要を参照ください。
帝国主義
「帝国主義」の例文・使い方・用例・文例
- 指導者は国内各地から集まった何百人もの反帝国主義者に,団結して,権利のために戦おうと呼び掛けた。
- アフリカでは、反帝国主義運動が民族解放運動の基礎となった。
- 帝国主義への激しい憎しみ.
- 共和国の帝国主義は奇観である
- 帝国主義
- 帝国主義者
- 帝国主義的政策
- 帝国主義者の国は2つの小さい国の間の自由貿易を阻止したがっていた
- 帝国主義の、または、帝国主義に関する
- 帝国主義戦争
- (まるで神が認めたかのように)不可避であるとして正当化された帝国主義の政策
- ギリシャのマルクスレーニン主義のテロ組織で、帝国主義、資本主義、NATO、および米国に激しく反対する
- 帝国主義の信奉者
- 中国でにおいて,民衆が日本の帝国主義侵略に抵抗した運動
- 五三十事件という,中国の反帝国主義運動
- 反帝国主義運動という社会運動
- 帝国主義という,他国を支配しようとする主義
- 帝国主義という,資本主義の到達する最終段階の状態
- 義和団事件という,中国の反帝国主義運動
- 北清事変という,1900年頃に起こった中国の反帝国主義運動
帝国主義と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 帝国主義のページへのリンク