英露協商とは? わかりやすく解説

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えいろ‐きょうしょう〔‐ケフシヤウ〕【英露協商】

読み方:えいろきょうしょう

1907年イギリスロシアとの間に結ばれた協定アフガニスタンイギリス勢力範囲とし、ペルシアにおける両国勢力範囲決定、さらにチベット対す内政不干渉などを決めた。これによってドイツ進出対抗する英・仏・露三国協商成立した


英露協商

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 03:55 UTC 版)

英露協商(えいろきょうしょう、: Anglo-Russian Entente: Англо-русское соглашение)とは、1907年イギリスロシア帝国が結んだ協約。イランアフガニスタンチベットにおける両国の勢力範囲を決定した。


  1. ^ a b c d e f 中山裕史「露仏同盟の変容過程 : 1891-1907 : 日露戦争の衝撃」『経済研究』第25巻、大東文化大学経済研究所編集委員会、2012年3月、7-29頁。 
  2. ^ キース・ニールソン. “日露戦争と国際関係―英国の戦略的外交政策―”. 防衛研究所. 2023年3月11日閲覧。
  3. ^ a b c 水田正史「英露協商とイランの借款問題」『社会科学』第69巻、同志社大学人文科学研究所、2012年3月、85-123頁。 


「英露協商」の続きの解説一覧

英露協商

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:30 UTC 版)

エドワード7世 (イギリス王)」の記事における「英露協商」の解説

日露戦争敗戦極東進出阻止されロシア皇帝ニコライ2世は、イギリスとの関係改善志向するようになったエドワードイギリス政府ロシアとの関係改善前向きだった。そのため1907年に入ると英露間で中央アジアの「グレート・ゲーム」をめぐる交渉進展見せ同年8月31日至って英露協商が締結された。これにより英露が長きわたって争奪戦繰り広げてきたアフガニスタンについては、ロシアへ敵対行動利用しないとの条件付きながらイギリス勢力圏であることをロシア確認した。またペルシャ帝国イラン)については、北部ロシア勢力圏南部イギリス勢力圏とする分割なされた。またチベットについては両国とも不干渉合意した。この英露協商はペルシャにおいてはイギリスペルシャロシア売り飛ばした」と批判されることが多かったが(この不満が1909年ペルシャ立憲革命一因となった)、英仏協商露仏同盟結んでいるフランスでは英露接近歓迎された。日本日仏協商日露協商交渉進めている時期だったので英露接近歓迎したニコライエドワードとの直接会見希望しており、エドワードの方もなるべく早期ロシア帝都サンクト・ペテルブルク訪問してニコライ再会することを希望していた。しかし専制王朝国家ロシア自由主義イギリスでは評判悪く英国王ロシア帝都訪問することには反対の声が根強かったバーティ友人には初代ロスチャイルド男爵ナサニエル・ロスチャイルドやサー・アーネスト・カッセルらユダヤ人も多いが、彼らもユダヤ人迫害ポグロム)の中心地であるロシア帝都訪れることには反対していた。外相グレイも英露協商を深化させるためには英露両君主会見不可欠認識しつつも、ロシア帝都会見を行うことには難色示した。そのためエドワードは、帝都訪問断念し1908年6月にレヴァル沖でニコライ会見することにした。エドワードアリックスは、ここでニコライ皇后アレクサンドラ(アリッキー)(エドワードの姪)、皇太后マリアミニー)(アリックスの妹)らと再会し家族として抱き合った。またエドワードはこの席上ニコライ王立海軍元帥叙した

※この「英露協商」の解説は、「エドワード7世 (イギリス王)」の解説の一部です。
「英露協商」を含む「エドワード7世 (イギリス王)」の記事については、「エドワード7世 (イギリス王)」の概要を参照ください。

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