その後の大国間抗争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:08 UTC 版)
「第2次百年戦争」の記事における「その後の大国間抗争」の解説
こののちイギリスは、ヴェストファーレン体制瓦解後のヨーロッパにおいて北方および東方の覇権を確立したロシア帝国との間で「グレート・ゲーム」と呼ばれる長い抗争を繰り広げることとなる。これは主に中央アジアの覇権をめぐるイギリス帝国とロシア帝国の間の長期にわたる敵対関係と戦略的抗争を指しており、アーサー・コノリーが命名した言葉といわれている。初期のグレート・ゲームは、一般には、ナポレオンのモスクワ遠征後の1813年頃から1907年の英露協商までの期間を指している。ロシア革命(1917年)以後、英露は再び敵対することとなったが、初期ほど対立の度合いは激しくなかった。
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