英露鉄道協定の締結とは? わかりやすく解説

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英露鉄道協定の締結

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/07 07:19 UTC 版)

スコット・ムラヴィヨフ協定」の記事における「英露鉄道協定の締結」の解説

英露鉄道協定交渉は、露都サンクトペテルブルクにおいて、イギリス大使チャールズ・スコットロシア外相ミハイル・ムラヴィヨフの間で進められた。ところが、10月の京奉鉄道借款契約調印以降ロシア協定成立への熱意を示さなくなってしまった。これは、ひとつには借款契約の正式調印にあたってロシアイギリスから大幅な譲歩引き出し6月来の抗議目的ひとまず達成したためであり、もうひとつロシア蔵相セルゲイ・ウィッテがこの協定反対していたためであった鉄道出身者であるウィッテ自身シベリア鉄道東清鉄道の建設強力に推し進めてきた当事者であり、また、彼の背後には露清銀行があったところから、京奉鉄道清国保有管理する鉄道となっても、満洲におけるイギリスの鉄道権益であることには変わりがなく、基本的にイギリスからの京奉鉄道からの借款供与歓迎していなかった。 1899年2月からは、香港上海銀行からの借款始まったが、ロシアは再び香港上海銀行借款抗議示したロシア抗議は、借款契約第3条が京奉鉄道運賃収入借款代価となっていること、第6条イギリス人主任技師引き続きその地位にあることなどであったソールズベリー侯爵はこれに対して逐一説明し反論した8月のバルフォア・レサール会談において英露鉄道協定大枠はすでに決まっていたが、ウィッテ反対もあり、協定案文討議遅延気味であった3月になり、ようやくロシアからの最終案文が示されたが、主任技師問題などのため最終的な合意はさらに遅れた1899年4月29日イギリスロシア英露鉄道協定スコット・ムラヴィヨフ協定)を結び、ロシア長江流域において鉄道敷設求めずまた、他国による同様の企て支援しないことを約束しイギリス万里の長城以北満洲において同様の対応をとることを取り決めた調印地はサンクトペテルブルク調印者イギリス駐露大使チャールズ・スコットロシア外相ミハイル・ムラヴィヨフであった。これにより、中国分割における英露対立は一応の収束をみた。

※この「英露鉄道協定の締結」の解説は、「スコット・ムラヴィヨフ協定」の解説の一部です。
「英露鉄道協定の締結」を含む「スコット・ムラヴィヨフ協定」の記事については、「スコット・ムラヴィヨフ協定」の概要を参照ください。

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