英領インド公式訪問とは? わかりやすく解説

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英領インド公式訪問

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:30 UTC 版)

エドワード7世 (イギリス王)」の記事における「英領インド公式訪問」の解説

1875年3月バーティ英領インド帝国公式訪問希望表明した。それに対して女王公式訪問ではなくインド総督第2代ノースブルック男爵トマス・ベアリング賓客として訪問することを勧めた。だがバーティとしては「皇太子公式訪問」とすることでインド王侯勲章配り、それによってインド支配層とイギリス王室結合強めたい考えていた。バーティ女王説得にあたり保守党政権首相ベンジャミン・ディズレーリ議会骨折りしてくれた結果同年11月から翌年3月にかけてのバーティインド公式訪問実現したインド到着したバーティコルカタ女王名代としてインド藩王たちにインドの星勲章授与した。さらにデリーでは1万8000人のインド軍閲兵行ったヒマラヤ山脈山麓では虎狩りや象狩り楽しんだ3月14日帰国の途に付いたが、お土産として虎、豹、象、チーターヒマラヤ熊アラブ馬ダチョウなど現地動物大量に船に積み込んだため、その船は「現代ノアの箱舟」と呼ばれたバーティインド訪問中にイギリス本国ではヴィクトリア女王インド女帝即位決め法案可決されていた。女王1876年2月女王演説の中で「私は我が息子皇太子インド歴訪を無事果たしたその健康に感謝しますインドにおいてあらゆる階級人種我が臣民たちから皇太子心より大歓迎受けていると聞き、彼らインド臣民たちが私の統治のもとで幸せ暮らし我が王冠忠誠誓っていることを確信しました」と述べている。 ただこのインド皇帝称号のことはバーティには寝耳に水のことだった。バーティはこの称号を嫌い、即位後にもほとんど使用しなかった。

※この「英領インド公式訪問」の解説は、「エドワード7世 (イギリス王)」の解説の一部です。
「英領インド公式訪問」を含む「エドワード7世 (イギリス王)」の記事については、「エドワード7世 (イギリス王)」の概要を参照ください。

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