英領インド帝国の皇帝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 06:36 UTC 版)
東インド会社がムガル皇帝を退位させ、社を解散させた後の1876年5月1日より、ヴィクトリア女王が「インド女帝」に推戴され、翌1877年1月1日にデリーで行われた戴冠式典(Delhi Durbar)において正式に即位が発表された。この称号は、インド亜大陸におけるイギリスの属領ならびに保護領が正式に大英帝国へ編入された19年後に制定されたものであり、その領域は、現在のインドの大部分(シッキム州、ポルトガル領インドのゴア州、フランス領のポンディシェリ連邦直轄地域を除く)や、パキスタン、バングラデシュ、ミャンマーなどが含まれている。 ヴィクトリア女王の死去に伴い、長男エドワード7世が王位に就き、彼の称号は「インド皇帝」となった。 1910年に英国王に即位したジョージ5世は、自身の提案により新たに「インド帝冠(英語版)」を作成させ、1911年12月12日にデリーで戴冠式(大謁見式:ダーバール)を執り行った。 「インド皇帝」の称号は、1947年8月14日/15日夜にインドとパキスタンがイギリスから独立するまで使用された。ジョージ6世が正式に称号を放棄するのは、1948年6月22日になってからだった。 国王/皇帝ならびに女王/女帝が、インドに関する公文書に自身の名前を署名する際は、自身の名前の後ろに“R I”(Rex〔国王〕/Regina〔女王〕およびImperator〔皇帝〕/Imperatri〔女帝〕のそれぞれの頭文字)、または省略形である“Ind. Imp.”(Indiae Imperator/Imperatrix〔インド皇帝/女帝〕)と記入した。ちなみに、王妃/皇后は“R”とだけ署名していた。この称号は1948年時点でのイギリスの硬貨にも刻まれている。
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