英領マラヤとマラヤ連合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 14:06 UTC 版)
「マレーシアの国章」の記事における「英領マラヤとマラヤ連合」の解説
マレーシアの国章の起源は、イギリスによる植民地支配でマレー連合州(Federated Malay States, FMS)が形成された時期にさかのぼる。1895年、マレー連合州の旗の制定と同時に紋章も制定され、太平洋戦争での日本軍の占領をはさんで1948年のマラヤ連邦成立までの間使用された。この紋章も現行のマレーシア国章同様、盾と2頭のトラをあしらっていたが、クレストの部分に現在の「連邦の星」ではなく大英帝国の皇冠を用いて英国の王権下にあることを示していた。また盾のデザインは、マレー連合州がヌグリ・スンビラン、パハン、ペラ、スランゴールの4か国だけでしか構成されていなかったので、盾を縦横の線で4分割し、各国の旗の色に使われる4色で塗り分けていた。下のモットー部分はジャウィ文字で「Dipelihara Allah」(アラーの庇護の下で)と書かれ、両脇に頂点八つの星が配されていた。 1946年にマラヤ連合が成立し、マレー連合州の4州に非連合州5州と海峡植民地2州(シンガポールは参加せず)が加わることとなったが国章に変更はなく、1948年の連合解体までの間使われた。
※この「英領マラヤとマラヤ連合」の解説は、「マレーシアの国章」の解説の一部です。
「英領マラヤとマラヤ連合」を含む「マレーシアの国章」の記事については、「マレーシアの国章」の概要を参照ください。
- 英領マラヤとマラヤ連合のページへのリンク