帝国ホテルとの関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 16:23 UTC 版)
フランク・ロイド・ライトの設計した帝国ホテル本館(1923年、ライト館)は関東大震災を耐え抜いたと言われるが、実際には少なからぬ被害を受けていた。オリンピック開催を控えた昭和10年代、既に施設の不備による建替えの計画があり、高橋が設計に当たる予定で、欧米のホテル視察も行っていた。しかし、日中戦争のためオリンピックは中止となり、建替えも実現しなかった。第二次世界大戦後も高橋と帝国ホテルとの関わりは続き、第一新館(1954年)、第二新館(1958年)増築の設計を行った。 1960年代、帝国ホテル新本館を建設するため、ライト館の取壊しが決定した。ライトの作品の保存を願う人々による保存運動が起こり、新本館を設計した高橋も批判にさらされた。ライト館は1968年までに取壊され(後に明治村に正面玄関部分を再現)、新本館が竣工した1970年に高橋は逝去した。 ライト館の建替えは数十年ごしのプロジェクトと言えるが、ライト館が余りにも有名で伝説的な存在であったため、高橋の新本館が評価されることは少ない。 帝国ホテル本館以前にも、帝国ホテルが関わった多くのホテルの設計に携わっている(上高地ホテル・川奈ホテル・赤倉観光ホテルほか)。
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