ムデハル様式
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ムデハル様式(ムデハルようしき、スペイン語: estilo mudéjar)とは、スペインとポルトガルで発展した建築様式で、イスラム建築とキリスト教建築が融合したつくりが特徴である。この呼称は、アラビア語で「残留者」を意味する「ムダッジャン」に由来する。
- ^ 鳥居徳敏「スペインの世紀末建築: ネオ・ムデハル」(PDF)『スペイン・ラテンアメリカ美術史研究会』第1巻、スペイン・ラテンアメリカ美術史研究会、2000年、1-12頁。
- 1 ムデハル様式とは
- 2 ムデハル様式の概要
- 3 ギャラリー
ムデハル様式(1450年頃-1700年)
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「マニセス (陶磁器)」の記事における「ムデハル様式(1450年頃-1700年)」の解説
15世紀から16世紀末まで、黄金色と青色のラスター彩陶器で知られるマニゼス産の陶器はヨーロッパ中で取引され、特に盛期ルネサンスにはイタリアに大量に輸出された。バレンシア地方やカタルーニャ地方で焼かれた陶器はバレアレス諸島のマリョルカ島に集められ、改めて船積みしてイタリアに向かった。多くの土地でこの陶器は「バレンシア仕事」や「マリョリカ」として知られ、これはマリョルカ島のイタリア語訛りが語源であるとされてきたが、近年ではマラガ産という意味の「オブラ・デ・マレーカ」が転訛したとする説が有力となっている。 アラゴン王室による理解を得られ、マニゼス産の陶器はフランス、イタリア、特に15世紀半ばにはアラゴン王アルフォンソ5世が立派で豪華な宮廷を造ることを目指していたナポリに輸出された。ナポリの王侯貴族はパテルナ陶器やマニセス陶器を愛好し、イタリアの他の宮廷に影響を与えた。15世紀のローマ教皇であるカリストゥス3世とアレクサンデル6世は、バチカン宮殿の大広間に使用するために継続的にバレンシアの産物やタイルを注文した。輸出はシチリア島、ヴェネツィア、トルコ、キプロス、さらにはフランドル地方やバルト海沿岸諸国にまで広がった。 ヨーロッパ中の宮廷の宮殿がマニゼス産の陶器で装飾された。多くの画家が絵画で宮殿を再現しており、初期フランドル派のフーベルト・ファン・エイクやヤン・ファン・エイクの作品、フィレンツェのウフィツィ美術館にあるフーゴー・ファン・デル・グースの三連祭壇画の中央のパネルなどにマニゼス産の陶器を見ることができる。フィレンツェにはバレンシアに在住していたモリスコのファイアンス焼きが描かれたルネサンスの画家ドメニコ・ギルランダイオのフレスコ画なども存在する。陶器の貿易のためにいくつもの輸出企業が創業した。当初の貿易業者はイタリア人、キプロス人、トルコ人であり、やがてカタルーニャ人とマリョルカ人が加わった。彼らはコッシスと呼ばれる大型の陶器瓶にタイルや陶器製品を慎重に詰め、さらに紐や麦わらをまぶしてから輸送した。積荷を満載した光舟は地元当局に税金を支払い、バレンシア港を出港した。16世紀になると、逆にイタリアの錫釉陶器がスペインの陶器に影響を与えるようになった。
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