ロシア構成主義
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ロシア構成主義(ロシアこうせいしゅぎ、ロシア語: Конструктивизм、英語: Constructivism)とは、キュビスムやシュプレマティスムの影響を受け、1910年代半ばにはじまった、ロシア・ソ連における芸術運動。絵画、彫刻、建築、写真等。
- ^ 各・当事者である、エリ・リシツキー/オシップ・ブリーク/ニコライ・タラブーキン/ヴィクトル・ペルツォフ/グスタフ・クルツィス/ウラジーミル・ファヴォルスキーの証言集
- 1 ロシア構成主義とは
- 2 ロシア構成主義の概要
- 3 関連項目
ロシア構成主義
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詳細は「ロシア構成主義」を参照 ロシア革命は、ロシア芸術にとっても一大転機となった。いままでの権威主義的・宮廷芸術的な建築が否定され、社会主義的・合理主義的な先鋭化した様式への回帰が叫ばれた。これらの芸術革新運動はロシア・アヴァンギャルドと呼ばれた。 ロシア・アヴァンギャルド建築の中でもっとも論理的な手法を用いたのが「構成主義」だった。構成主義は、建築物の力学的に計算しつくした構造による構造美こそが建築美であるという単純化した主張だった。建物のファサードも装飾美ではなく、構成全体の美しさを表現するようになった。 1925年のパリの装飾博覧会でソビエト館を設計し、外国館グランプリを手にしたのがコンスタンチン・メーリニコフだった。メーリニコフは以後「コロンブス・モニュメント」の設計など、世界的に活躍しロシア建築界の巨匠となり、構成主義の旗手であった。 ウラジーミル・シューホフは、双曲面構造の外観をもつシューホフ・タワーと呼ばれる塔を創出した。ソビエト成立以後初めての大型構造物であったシャーボロフスカヤのラジオ塔を設計した。 一方1920年に、モスクワに美術・建築などの教育機関「ヴフテマス」(国立高等芸術技術工房、1920年~1930年)が創設された。ウラジーミル・タトリンやメリーニコフが教鞭をとり、非常に短期間だったが先鋭的な作品が数多く生まれた。まさにロシア版のバウハウスだった。
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