ロシア歌謡
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18世紀後半、エカチェリーナ2世の時代に、アレクサンドル・スマローコフやガヴリーラ・デルジャーヴィンなど、当時の有名な詩人によるロシア語の詩に主として鍵盤楽器の和音伴奏が付された世俗歌謡の形式が生まれた。これが「ロシア歌謡」である。ロシア歌謡には二つの特徴が見られる。ひとつはワルツ、ポロネーズなど西ヨーロッパの舞曲形式を用いていること、もうひとつは6度音程を過剰に利用した感傷的な旋律様式を備えていたことである。ロシア歌謡は貴族のサロンで歌われたのを始め、市民層にも広がり、それまで普及していたカントに取って代わるものとなった。 ロシアで最初に出版されたロシア歌謡集として知られるのが、グリゴリー・テプローフの『余暇の暇つぶし』(1759年出版)である。さらに、ワシーリー・トルトフスキー(1776年-1795年出版)、ニコライ・リヴォフ(1790年-1815年出版)らが「ロシア民謡集」を出版したが、実質的にはこれらもロシア歌謡であった。とくにリヴォフのものは、ジョアキーノ・ロッシーニ、ヨハン・ネポムク・フンメル、フェルナンド・ソル、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(「ラズモフスキー」と呼ばれる3曲の弦楽四重奏曲作品59におけるロシア主題)らが作曲に利用するなど、ロシア国内外に大きな影響を及ぼした。この結果、ロシア歌謡は次第に姿を変え、「ロシア・ロマンス」と呼ばれる新しい叙情歌謡のジャンルへと発展的に解消されていった。 ロシアに漂着した大黒屋光太夫が、鎖国中への日本への帰国の許可をエカチェリーナ2世に直訴するため、1791年にサンクトペテルブルクに滞在中に、光太夫の境遇をうたったソフィアの歌が作曲され、瞬く間に流行した。ソフィアの歌は、19世紀には訳詞と替え歌の問を横断し、抵抗歌や軍歌にもなった。
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