ロシア正教への開眼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:50 UTC 版)
箱館では旧友の金成善左衛門よりすでに箱館ロシア公使館付司祭ニコライ・カサートキンから洗礼を受けていた澤辺琢磨を紹介され、1869年2月(明治2年1月)頃、澤辺を通してニコライと3回会見し、大いに啓発され、ハリストス教の教理に心服する。 ニコライは新井の才学に期待したとされるが、まもなく日本伝道会社設立のために一時帰国する。一方、新井と金成もまもなく募兵すべく仙台に潜行するが、当地の旧佐幕党の探索が厳しく、生命の危険さえあり、意を果たすことが不可能と知る。結局、新井は房州の知人宅に匿われ、『論語』と『象山先生全集』などを取り寄せて研究しながら時勢を見守る。その間に新政府軍は箱館を攻略し、榎本勢の降伏により箱館戦争が終わった。
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