ラジオ塔
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ラジオ塔(ラジオとう 旧仮名表記:ラヂオ塔[1])とは、放送事業者がラジオの普及を目的に、公衆にラジオ放送を聞かせるため、公園などの公共空間に設置した、ラジオ受信機を内部に収めた塔である。
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- ^ 『ラヂオ年鑑』には「亀田郡大沼公園」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「網走町南一東一」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「厚岸町松葉町」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』以降には「留萌町南大通」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「瀬棚町金津町」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「江差町中歌町」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「幌別郡幌別村登別温泉」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「稚内町神社前」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「富良野町市場」、『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「富良野町市街」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「虻田町洞爺湖温泉」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「弟子屈町」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』には「仙台市霊屋下」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』では「盛岡公園」と誤記
- ^ 『ラジオ年鑑』には「上ノ山町駅前通り」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑』には「白河町駅前通り」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』では「致達」と誤記
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』では「馬渡公園」と誤記
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「若柳町神社境内」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「古川町十日町角」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラヂオ年鑑 昭和18年版』には「宮城県松島海岸公園広場」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』では「各地町」と誤記
- ^ 『ラヂオ年鑑 昭和18年版』には「福島県本宮町摩利支天境内」と記載。寺院は不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』にのみ記載。
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- ^ 私の“東京大空襲” 小田昌衛さん|NHK戦争証言アーカイブス - NHKアーカイブスポータルにおける「隅田公園のラジオ塔前広場」に関する証言。「山谷堀が隅田川へ流れ込む辺り」にあったとしており、両岸にまたがる公園のうち台東区側にあったことが裏付けられる。
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- ^ 『ラジオ年鑑』には「上田市公園広場」としか記載されておらず具体的な場所不明
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- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』には「清水市港町一丁目」としか記載されておらず具体的な場所不明
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- ^ 暮らしの情報 ラジオ塔(中村公園) 名古屋市観光文化交流局 - 同資料では1943年(昭和18年)頃設置と推定されている。
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- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』以降には「京都府八瀬公園」と記載
- ^ 『ラヂオ年鑑』には「京都府宮津町天ノ橋立」としか記載されておらず具体的な場所不明
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- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』には「豊中市豊中小公園」、『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「豊中市小公園」として記載
- ^ 『ラジオ年鑑』には「兵庫県六甲山公園」として記載
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「奈良県御所町小公園」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「奈良県吉野山公園」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「和歌山市和歌浦公園」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「和歌山県田辺町公園」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「滋賀県八幡町公園内」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「南海電車沿線長野」としか記載されておらず具体的な場所不明
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- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「阪急沿線西宮」としか記載されておらず具体的な場所不明
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- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』以降「今市町享楽園」との記載があるが詳細不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』以降「大藪公園」と誤記
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』以降には「高松町稲荷神社」と誤記
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- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』以降「高梁町報国ラジオ体操会場」との記載があるが詳細不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』以降には「三原市営グラウンド」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 安芸郡府中町なのか芦品郡府中町 (現・府中市)なのか不明。また、『ラジオ年鑑 昭和16年版』には「府中町神社境内」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』以降には「宇部市速谷神社」と誤記
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』には「福山市遊園地」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』では「杉原公園」と誤記
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』以降には「三津町公園内」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑』には「山口市湯田公園」として記載
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』以降には「萩市営グラウンド」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「青谷町」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「境町栄町空地」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「平手町平田神社神苑」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「津和野町津和野神社」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「片上町」とあるのみで場所の記載なし
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- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「香川県三豊郡仁尾遊園地」と誤記
- ^ 日本放送協会(編)『ラヂオ年鑑 昭和11年版』p.319「香川県三豊市仁尾町ラヂオ塔」
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- ^ “戦前の「ラヂオ塔」 県内初、三豊市内で遺構を確認”. 四国新聞. (2017年11月12日)
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「香川県坂出町広場銅像横」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「香川県平井町大字平木広場」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「愛媛県宇和町坪ヶ谷公園」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「愛媛県波止浜町三叉路」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「小松島町遊園地」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「高知県室戸町」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑』には「八幡宮田遊園地」としか記載されておらず具体的な場所不明。また、『ラジオ年鑑 昭和17年版』では記載がなくなる。
- ^ “ラジオ塔:原爆の惨禍も見つめ続け・・・今年81歳」”. 毎日新聞. (2017年5月9日) - 毎日新聞西部夕刊 2017年5月9日、同長崎版同年5月10日
- ^ 戦前生まれ? ラジオ塔今も現役 長崎新聞、2017年5月17日10面[リンク切れ]
- ^ 長崎公園のラジオ塔、まだまだ現役 戦況伝え、今は「体操」放送 地元「珍品を新名物に」(キャッシュ) 西日本新聞長崎版、2017年5月20日
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』には「福島町八女公園」としか記載されておらず具体的な場所不明。また、『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「福岡市八女公園」と誤記
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』には「太宰府東園」、『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「福岡県太宰府町東園内」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』には「佐世保市」、『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「佐世保市記念公園」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』にのみ記載。
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』には「雲仙公園緑地帯」、『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「長崎県小浜町雲仙公園」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑』には「日奈久町海岸大通」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑』には「山鹿町有広場」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和16年版』には「中津市公園」、『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「中津市中津公園」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「伊万里町相生橋」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「小浜町揚町海岸」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』では「亀山公園」と誤記
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「人吉町麓公園」として記載
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「延岡市三瀬町(三ツ瀬町の異表記)」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』では「摺之浜」と誤記
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「到津新町公園」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「福岡県水田村船十屋公園」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』では「三桂神社」と誤記
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「長崎県茂木町汐見崎遊園地広場」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「御船町大通り」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「甲佐町甲南橋」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「熊本県内牧町共同温泉場広場」とあるのみで場所の記載なし
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「松橋町大通り」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「高鍋町駅通」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』では「綱掛橋」と誤記
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和18年版』には「首里市尚家邸前広場」としか記載されておらず具体的な場所不明。「尚家邸」は御殿を指すとみられるが、どの御殿か不明。
- ^ 『ラジオ年鑑 昭和17年版』には「樺太真岡町公園」としか記載されておらず具体的な場所不明
- ^ “放送電台擴音台(舊稱:放送頭)”. 文化部文化資産局. 2015年10月14日閲覧。[リンク切れ]
ラジオ塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 17:02 UTC 版)
ルソーが救助を呼んだ塔。誰が建てたのかは不明。1988年まで「4,8,15,16,23,42」を放送していた。
※この「ラジオ塔」の解説は、「LOST」の解説の一部です。
「ラジオ塔」を含む「LOST」の記事については、「LOST」の概要を参照ください。
- ラジオ塔のページへのリンク