ラジオ大阪とFM大阪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 08:59 UTC 版)
昭和30年代前半には、前田は関西テレビ以外にもう1つの放送局開局に腐心していた。これが大阪を拠点に近畿広域を対象とするAM第3局となったラジオ大阪(OBC)である。前田はOBC初代代表取締役社長に就任し、同時に発行済み株式の約半数を保有。産経新聞社を手放した後の財界活動の拠点としてOBCを重視した。久吉が引退した後も、息子の前田富夫がOBC社長職を引き継いだ。1986年(昭和61年)、久吉が死去すると、OBC株は富夫に相続された。 一方、東京タワーの建設で主導的役割を果たした縁(後述)で民放FM局開局にも関わることになり、1970年(昭和45年)、前田家としてFM大阪の設立に関与。また日本初の民間FM実験局FM東海の後身として株式会社組織への移行が迫っていたFM東京(現・TOKYO FM)には日本電波塔を通じて出資、FM愛知とFM福岡を加えた4局でJFNの基本となる関係を構築した。 しかし、前田家はFM大阪とOBCの両方に大株主として影響力を持ったため、富夫が亡くなる直前の2005年(平成17年)、マスメディア集中排除原則に基づく総務省の調査の結果個人としてただ1人、行政指導を受ける。富夫はOBCの株式を産経新聞社に売却、OBCは開局48年目で正式にフジサンケイグループ入りを果たした。FM大阪株も日本電波塔に売却されたものの、こちらは放送対象地域が異なり、かつTOKYO FMの持分保有比率が小さいこともあり総務省は適法と判断している。
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