ナウム・ガボとは? わかりやすく解説

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ガボ【Naum Gabo】

読み方:がぼ

18901977ロシア生まれ彫刻家。のち、米国帰化構成主義代表者で、プラスチックなどの新素材により、独自の彫刻空間構築した


ナウム・ガボ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 16:16 UTC 版)

ナウム・ガボ (1957)

ナウム・ガボ(Naum Gabo, Наум Габо, 1890年8月5日 - 1977年8月23日)は、ロシア・アヴァンギャルド美術家彫刻家ロシア構成主義の命名者の1人とされることがあり(ただし、メドゥニツキー英語版(Константин Константинович Медуницкий, 1899年-1935年)とステンベルグ兄弟英語版を命名者とする文献もある)、構成主義への初期からの参加者でもある。なお、アントワーヌ・ペヴスナーは実兄[1]

略歴

1910年、ミュンヘンで学ぶ(薬学工学数学など美術とは関係のない分野であった)。そのときに、青騎士を知りその影響を受ける。1913年ごろ兄のいたパリを訪問し、キュビスムの影響を受ける。1914年には第一次世界大戦の開始を受けてデンマークコペンハーゲンに移り、1915年にはペヴスナーとともにノルウェーオスロに移る。

1917年の2月革命後、ペヴスナーとともにモスクワに戻り、タトリンなどと交流する。1920年にはペヴスナーとともに「リアリスト宣言英語版」を発表。ガボはロシア革命後の前衛芸術の重要人物であり、彼はロシアの彫刻文化の発展に寄与した[2]

1923年には、スターリンから逃れベルリンへ移転した。1931年には「アプストラクシオン・クレアシオン英語版」に参加、またバウハウスとも接点を持っている。

1932年には、パリに、さらにロンドンを経て、1946年にはアメリカに移住。1948年には、ニューヨーク近代美術館において、「ガボ・ペヴスナー展」を開催。

「Head No. 2 by」テート・リバプール(1964)
ロッテルダムにある金属彫刻

脚注

  1. ^ コトバンク-ナウム ガボ参照
  2. ^ Tate Gallery. Naum Gabo biography 2023年12月6日閲覧

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