初期キリスト教美術
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初期キリスト教美術(しょきキリストきょうびじゅつ)は、キリスト教初期段階の美術を指す。おそらく2世紀末から3世紀初頭に制作が開始されたと思われる。ローマ帝国勢力圏内で発生し、604年、教皇グレゴリウス1世の死まで続いた。古代ローマ末期の文化を母体として、政治的・宗教的状況の変化のはざまで、東方・西方世界それぞれに発展して行った。キリスト教独自の図像は、のちに神学体系の発展にともない、徐々に確立して行った。
- ^ a b 越 宏一「西欧中世美術序説」 中世哲学会、2018年9月12日閲覧。
- 1 初期キリスト教美術とは
- 2 初期キリスト教美術の概要
- 3 歴史的背景
- 4 中世美術への展開
初期キリスト教美術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 18:17 UTC 版)
詳細は「初期キリスト教美術」を参照 紀元2世紀末から3世紀はじめにかけて地中海沿岸の各地にローマ美術の流れを汲んだキリスト教美術が誕生した。以降キリスト教美術は1500年以上に渡って東西ヨーロッパにおける美術の中核を担っていったが、キリスト教の誕生から5世紀後半までの美術を初期キリスト教美術と呼称している。313年に公布されたミラノ寛容令まではキリスト教に対して弾圧が繰り返されていたこともあり遺跡、遺品ともに残されているものが少ないが、カタコンベ(地下墓所)の壁画や石棺彫刻といった葬礼美術にその特徴を垣間見ることが出来る。火葬と土葬が併用されていた古代ローマ時代からヘレニズム文化の影響を受けて土葬へと急激に転換したことが、こうした葬礼美術が制作されるようになった要因の一つとされている。キリスト教では偶像崇拝が禁じられていたことから、死後の魂の救済を願って描かれた初期の壁画は、構図やモチーフに異教美術からの積極的な借用が見られるものの、十字架の形を象徴する物やイエス・キリストを意味する魚、よき羊飼いや祈る人といった寓意的な人物など、間接的または暗示的な信仰の表明が示されている。教義が出来上がり、教会体制が整うにつれて新約聖書や旧約聖書に語られている物語がモチーフとして選択されるようになった。 380年に、テオドシウス1世によってキリスト教が国教として定められると、帝都コンスタンティノポリス、ローマ、アンティオキアなどの各地で大規模な教会堂の建築が実施された。建築様式としてはローマ美術のバシリカから派生したもの(バシリカ式)、ヘレニズム美術の廟墓建築やユダヤ教の記念堂建築の流れを汲むもの(集中式)に大別されるが、いずれも煉瓦造りの質素な外観に対してモザイク装飾を用いた豪華な内観という特徴を持っており、現実的な地上世界と神秘的な死後世界の対照化を試みている。バシリカ式の教会堂としてはローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が、集中式の教会堂ではラヴェンナのガッラ・プラキディア廟堂が、それぞれこの時代に建築された代表的な例として挙げられる。5世紀に入るとキリスト教美術はローマ美術の古典的な様式から豪華な金地や多様な装飾が施された東方的な荘厳美術へと傾倒していった。
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