初期シーンの発展 (1980年代–1990年代)
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「メロディック・ハードコア」の記事における「初期シーンの発展 (1980年代–1990年代)」の解説
最初期のメロディック・ハードコアは1980年代初頭に、カリフォルニアのハードコアパンクシーンから生まれた。例えば、1978年に結成されたディセンデンツなどがいる。彼らの初期の作品はシンプルで、ポップミュージックに影響されたパンクロックだったが、このメロディックな志向をハードコアと組み合わせるようになり、のちのメロディックハードコアとポップパンクのシーンに影響を与えた。バッド・レリジョンは1979年にロサンゼルスで結成され、似たような文脈でプレイしていたが、彼らのアプローチはより「怒りのこもったもの」であり、政治的な熱も帯びていた。デビューアルバムの『How Could Hell Be Any Worse?』は1981年にレコーディングされている。 The Faithの1983年のEP『Subject to Change』はメロディックハードコアの最初の作品の一つであると考えられており、バッド・レリジョンやディセンデンツらの作品と同じくらい重要であるとされている。この作品で彼らは初期のハードコアパンク一直線なサウンドから、より複雑でメロディックなサウンドへと変化しており、内省的な歌詞も取り入れるようになっている。このリリースはポスト・ハードコアへ影響を与えたことでも著名である。 Dag Nastyは1980年代半ばに結成されているが、彼らはワシントンDCのハードコアシーンに属していたメロディック・ハードコアの中心的なバンドである。1988年には、Allが結成されているが、解散したディセンデンツのメンバーが3人所属していた。Allはディセンデンツと広い意味では似た文脈に属する音楽をプレイしており、最初はDag NastyのDave Smalleyがフロントマンを務めていた。Gorilla Biscuitsは1980年代の後期にニューヨークのハードコアシーンに現れ、ユースクルーという名で知られるメロディックなハードコアのサブジャンルをプレイしていた。ユースクルー自体は、7 Secondsから大きな影響を受けていた。ニュージャージーのTurning Pointもユースクルームーヴメントから現れたが、後期の作品では、メロディックハードコアを志向しており、より複雑な音楽と内省的な歌詞を取り入れている。 1994年にはH2Oが、ワシントンDCシーンのメロディックな要素と、ニューヨークやカリフォルニアのハードコアパンクの要素を融合させた音楽性でシーンに現れた。Lifetimeは、ポップパンクやメロディックハードコアから大きな影響を受けている著名なエモグループである。そのほかのメロディックハードコアバンドとともに、Fall Out BoyやSaves the Dayなどの後続のポップパンクグループに影響を与えている。Lifetimeが解散し、その後何人かのメンバーはKid Dynamiteを結成した。1990年代には、"Epi-Fat"サウンド(スケート・パンクの一種。著名なバンドが在籍したEpitaph RecordsやFat Wreck Chordsといったレーベルの名前から命名されている。)が人気となり、NOFXやStrung Outがディセンデンツやバッド・レリジョンなどのメロディックハードコアバンドの音楽性と近いことをやっている。
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