装飾写本
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装飾写本(そうしょくしゃほん、仏語: enluminures、英語:illuminated manuscript) は、多くの場合、宗教的なテクスト写本に装飾頭文字(イニシャル)や装飾的な縁取り、装飾頁(カーペット頁)などの華麗な飾りを付けたものである。
- ^ 視覚デザイン研究所編『ヨーロッパの文様事典』視覚デザイン研究所、2000年、224–226頁。ISBN 4-88108-151-9。
- ^ “UNESCO - Art of illumination: Təzhib/Tazhib/Zarhalkori/Tezhip/Naqqoshlik” (英語). ich.unesco.org. 2023年12月8日閲覧。
装飾写本
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マルミオンの最高傑作とされているのはサンクトペテルブルクのロシア国立図書館に所蔵されている『フランス大年代記 (en:Grandes Chroniques de France)』で、大きめ(215mm x 258mm)のミニアチュール(挿絵)が25枚、より小さめのミニアチュールが60枚描かれた装飾写本である。美しい彩色で描かれた戦闘場面からグリザイユのようなモノクロームで描かれた落ち着いたものまでさまざまな挿絵が描かれている。ネーデルラントの事象に重点を置いて書かれており、フランス王位を要求するフィリップ3世を正当化する目的で作成されたと考えられる。また、医学に関するテキストもあり、内容を図示する見事な挿絵が宗教的な縁飾りが施されたフィリップ3世の肖像とともに描かれている。 J・ポール・ゲティ美術館所蔵の『トンダルのヴィジョン (en:Getty Les Visions du chevalier Tondal)』も重要な作品である。1475年に作成された装飾写本で、マルミオンは他にも伝統的な時祷書や装飾写本を制作しており、大英図書館所蔵で1480年ごろの『フースの時祷書 (Huth Hours)』は24枚のページ大の挿絵と74枚の小さめの挿絵に装飾された、現存するマルミオンの作品のうちでもっとも精巧な時祷書となっている。現在ナポリにある22枚のページ大挿絵を持つ『ラ・フローラ (la Flora)』は複数の半身肖像画を描いた最初の時祷書で、「非常によくマルミオンの特色が表現された写本装飾で、もっとも優れた作品だろう」ともいわれている。ほかにもニューヨークのモルガン・ライブラリーとカリフォルニアのハンティントン・ライブラリーがマルミオンの優れた時祷書を所蔵している。 ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館が所蔵する「シモン・マルミオンの時祷書」は1475年から1481年に作成された時祷書で、11cm x 7.6cmのページで構成されており、時祷書の細密画の技法しての好例といえる。縁飾りは特にすばらしく、通常の時祷書は草花で装飾されているのに対し象牙やエナメル額が用いられている。この時祷書は特定の依頼者のために作成されたとは考えられていない。依頼を受けて作成された時祷書には通常縁飾りに依頼者の紋章があるが、この時祷書には紋章がなく、また暦に記載されている聖人の記念日も特定の所有者を意識した聖人ではなく、当時のブルッヘや北フランスで信仰されていた汎用的な聖人が記載されている。これは当時の時祷書が一般向けにも市販されていたことを示唆するが、この時祷書ほど高級なものは珍しい。一枚だけ縁飾りがないページ大の挿絵があり、そこにはあまり例のない天国と地獄の光景が描かれ、反対側のページには「最後の審判」が描かれている。下部2/3には炎に満ちた煉獄が描かれ、その上には湖に架けられた、草花に満ちた公園のような天国へ続く細長い橋を渡ろうとしている裸体の肖像が描かれている。『トンダルのヴィジョン』にもさまざまな天国と地獄の光景が描かれており、ペテルブルクにある『年代記 (Chroniques)』の挿絵「シャルル禿頭王の夢 (Dream of Charles the Bald)」も同様に天国と地獄が描かれている。これらはヒエロニムス・ボスが『快楽の園』などで地獄の光景を描く以前の作品である。
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装飾写本
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「バーテルミー・デック」の記事における「装飾写本」の解説
デックの作品ではないかとされてい装飾写本のなかに、ニューヨークのモルガン・ライブラリーが所蔵する時祷書があり、この時祷書の作成にはアンゲラン・カルトンも関わっている。カルトンは他にも大英図書館が所蔵している『ルネ・ダンジューのロンドン時祷書(The London Hours of René of Anjou)』に5枚のミニアチュールを描いている。これらの時祷書はディジョンで虜囚となっていたルネの境遇と密接に関係しており、時祷書に関する書物を著しているジョン・ハーサンは、ルネ自身がミニアチュールのスケッチを描き、デックに仕上げさせたのではないかと考え、「デックは王(ルネ)の高邁なアイディアを忠実に解釈することができる、二人とはいない十分に信頼できる有能な友人であり、おそらく共同で芸術活動を行ったのだろう」としている。 もっともよく知られているデックの装飾写本は、ウィーンのオーストリア国立図書館に所蔵されている1460年 - 1470年の作成年度が入った『Livre du cueur d'amour esprit』と『Théséide』で、それぞれデックの手による16枚と7枚の挿絵で装飾されている。『Livre du cueur d'amour esprit』は宮廷を舞台にした寓意に満ちた物語で、これを書いたのはまず間違いなくルネだと考えられている。この写本にはさらに29枚分の挿絵のスペースがあるが、ここに描かれる予定だった挿絵は他の写本に流用されている。これらの挿絵はデックよりも技術的に劣る芸術家が手掛けているが、デックのスケッチをもとにして描いたとされている。デックの光の表現方法は非常に優れており、16枚の挿絵のうち4枚が夜で、その他は夜明けや夕暮れを描いた優れたものとなっている。 もう少し初期の作品の、同じくルネが文章を書き、デックが挿絵を描いた『en:King René's Tournament Book』では、珍しいことに羊皮紙にテンペラではなく、紙に水彩で描かれている。 多くの美術史家が15世紀中頃に『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』に挿絵を追加した「影の画家(Master of the Shadows)」と呼ばれる画家はデックであると指摘している。この時祷書は1419年に依頼主のベリー公と挿絵を描いた画家リンブルク兄弟が死去したため、その後長い間未完成のままになっていた。当時この時祷書はルネが所有していたと考えられている。 9月の暦にルネの居城で、1460年代の大部分を過ごしたソミュールの城館が描かれており、この部分を「影の画家」が描いたとされている。他に3月、10月、12月の暦にも「影の画家」が大部分(あるいは一部分)を描いた挿絵がある。「影の画家」が描いた空間の奥行き表現はリンブルク兄弟よりも優れており、この表現はデックが描いた写本挿絵の顕著な特徴の一つである。「影の画家」が描いた人々の肖像は、その身体描写が洗練されているとは言えないのに比べ、とくに農夫の表情が際立って個性あふれるものとなっている。 『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』のなかで、これらの暦に描かれた情景と、もしかしたら『聖グレゴリーの行進(Procession of St Gregory)』に描かれている顔だけが、デックの作品であると考えられ、他の多くの挿絵は後世にフランスの装飾写本作家ジャン・コロンブ(英語版)が描いたものとなっている。
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