美術活動
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「ラリー・D・アレキサンダー」の記事における「美術活動」の解説
妻の勧めもあり、アレキサンダーはデトロイト時代には活用していなかった美術の才能を活かすことにした。1991年、アレキサンダーは"Alexander Greeting Cards Company"(現存しない)の社名でグリーティングカードを発売した。1991年から1994年にかけては80作以上の美術作品を制作し、このころの作品に"Renetta", "Girlfriends", "Cowboy Fiddler", "Young Kennedys", "Roundup"がある。1994年には"Fine-arTshirt"と名付けたTシャツをホームレス支援のために販売した。 1993年に完成した「60年代シリーズ」はアレキサンダーの連作作品の中でもよく知られたもので、学校や図書館、美術施設などさまざまな場所で展示された実績がある。1965年の「血の日曜日事件」やベトナム戦争、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、マルコム・X、メドガー・エヴァーズ、ローザ・パークスの肖像など、60年代を代表する事件や人物を扱っている。"Composite Sixties"と"Composite Protests"の2作品は、この時代を象徴する人物や場所、事件の組み合わせで構成されており、当時の大統領であったジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン、リチャード・ニクソンのほか、ジョン・エドガー・フーヴァー、ジャクリーン・ケネディ・オナシス、エドワード・ケネディ、ロバート・ケネディといった人物、1969年の月面着陸や、この騒乱の時代に引き起こされた数々の抗議行動が取り上げられている。 1996年初め、アレキサンダーは「ダーモット・シリーズ」を完成させ、発表した。20作品からなるこの連作は、アーカンソー州南東部の田舎町で育った自身の幼年時代を油とアクリルで描いた懐古的な内容となっている。作品では綿工場やチコット・カウンティ高校の校舎など、故郷の人々や場所、建物が取り上げられている。この連作のうち6作品はパインブラフにあるArts and Science Center for Southeast Arkansasに所蔵されている。 1998年5月、アレキサンダーは「デルタシリーズ」を発表した。この作品はアレキサンダーが1996年から続けてきた学校訪問活動「アーカンソー・スクール・ツアー」の際に描かれたもので、全作品アクリル画となっている。この年のツアーではミシシッピ州グリーンビルやテネシー州メンフィスを訪れたことから、この連作ではグリーンビル郡庁舎など、ミシシッピ・デルタ地域の事物が描かれている。また連作に含まれる「Aunt Eira Mae」は2004年にテキサス州ダラスにあるアフリカン・アメリカン博物館に寄付され、常設展示品に加えられている。 1999年、アレキサンダーはデトロイトのウェスト・グランド・ブールバードにあるAmerican Black Artist Instituteのギャラリーで、「デトロイト・シリーズ」と題した連作を発表した。9作からなるこの作品はデトロイトのさまざまな場所を油とアクリルで描いたもので、ベル・アイル・パーク、ビル街、デトロイト川、ヒッツヴィルUSA(モータウン・レコード元本社)、グリークタウン、タイガー・スタジアム、ジョー・ルイス・アリーナ、ハドソンビルといった事物を取り上げている。
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美術活動
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1884年(明治17年)駒場農学校に勤務。この間、天皇の乗馬「金華山号」を銅像にして知られる。 1890年(明治23年)東京美術学校に勤務、楠木正成銅像の共同制作を行う。 上野恩賜公園の西郷隆盛像(1898年(明治31年)除幕)の犬「ツン」を制作。 1898年(明治31年)岡倉覚三(天心)の辞職に伴い美術学校を辞め、野にあって彫刻を行い、最後は盛岡にあったという。
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