モータウン
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モータウン(Motown、Motown Records)は、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト発祥のレコードレーベル。1959年1月12日、ベリー・ゴーディ・ジュニアによってタムラ・レコードとして設立し、1960年4月14日、モータウン・レコード・コーポレーションとなった。
- 1 モータウンとは
- 2 モータウンの概要
モータウン・レコード
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「ベリー・ゴーディ」の記事における「モータウン・レコード」の解説
ゴーディーは、自作曲のヒットで得た資金を、制作に再投資した。1957年、ゴーディーはミラクルズ(英語版)(当初は、The Matadors)を見いだし、何組ものアーティストたちを成功させ始めた。1959年、ミラクルズのリーダーだったスモーキー・ロビンソンに背中を押されたゴーディーは、家族から800ドルを借り、R&Bレーベル「タムラ・レコード」(Tamla Records)を立ち上げた。1959年1月21日、マーヴ・ジョンソン(英語版)の「Come To Me」が、Tamla 101として発売された。ユナイテッド・アーティスツ・レコードは「Come To Me」に目をつけ、これを全国発売し、さらにこれに続いたジョンソンのヒット曲が生まれた(その中には、ゴーディーが共同プロデューサー、共作者に名を連ねていた「You Got What It Takes」などがあった)。続いてゴーディーは、Rayber レーベルを立ち上げ、ウェイド・ジョーンズ(Wade Jones)が無名の女声グループをバックに録音した、このレーベル唯一のシングル盤を出した。ウェイド・ジョーンズが歌った「I Can't Concentrate」と「Insane」の出来はとても良かったが、レコードはあまり売れず、今日ではモータウン関係のレコードとして最も希少なものになっている。ゴーディーが第3弾として発売したのは、ミラクルズの「Bad Girl」で、これがモータウン・レコードというレーベル名での最初のリリースであった。「Bad Girl」はチェス・レコードから発売されて1959年に大ヒットとなった。バレット・ストロングの「マネー」は最初はタムラから出たが、その後1960年2月に、ゴーディーの姉のレーベルアンナ・レコード(英語版)の盤がチャートを上昇した。ミラクルズのヒット曲「ショップ・アラウンド(英語版)」が1960年遅くに全米R&Bチャートの首位に立ち、1961年1月16日付ビルボード誌のポップ・チャートでも2位まで上昇した(キャッシュボックス誌のチャートでは首位に立った)ことで、モータウンは注目に値する独立系レコード会社となった。1961年には、マーヴェレッツの「プリーズ・ミスター・ポストマン」R&Bとポップ両方のチャートで首位になった。 1960年、ゴーディーは無名だったメリー・ウェルズ(英語版)と契約したが、彼女はやがて、スモーキー・ロビンソン作の「en:You Beat Me to the Punch」、「en:Two Lovers (Mary Wells song)」、「en:My Guy」といった曲で、モータウン・レーベルが育て上げた最初のスターとなった。タムラとモータウンは合併し、1960年4月14日に新たな会社モータウン・レコード・コーポレーションが成立した。 ゴーディーは、Nick and the Jaguars、Mike and The Modifiers、Chris Clark、Rare Earth、the Valadiers、Debbie Dean、Connie Hainesなど、何組かの白人アーティストたちとも契約したが、白人スターを育てることには成功しなかった。1959年、ゴーディーはトム・クレイ(Tom Clay)という白人DJで歌手のレコードをプロデュースし、Chant というデトロイトの小レーベルからレコードを出した。この Chant がゴーディー所有のレーベルだったのかどうかは、今となっては分からないが、このシングル盤は、レコード・コレクターの間では、ゴーディー関係のシングル盤で最も希少なものとされている。後にトム・クレイはロサンゼルスでもDJとして成功し、1970年代には、ゴーディー所有の MoWest レーベルで、再びレコーディングをしている。モータウンが最初に契約したイギリスの白人女性歌手は、キキ・ディー(Kiki Dee)であった。また、ゴーディーは、「ヒッツヴィルUSA」と名付けたデトロイトのウェスト・グランド大通りの本社に、白人従業員を数置く雇用していた。ゴーディーは、おもにアフリカ系アメリカ人のアーティストたちを売り込んでいたが、彼らのパブリック・イメージ、服装、マナー、踊りの振り付けなどを、例外なく注意深く管理していた。 才能の発掘と育成におけるゴーディーの手腕は、注意深く管理されたアーティストたちのパブリック・イメージと相まって、モータウンに全米での成功をもたらし、やがてそれは国外にも広まっていった。その後、1960年代を通して、ゴーディーは、スプリームス、マーヴィン・ゲイ、コントゥアーズ(The Contours)、ジミー・ラフィン(Jimmy Ruffin)、テンプテーションズ、フォー・トップス、グラディス・ナイト&ザ・ピップス(Gladys Knight & the Pips)、コモドアーズ、ヴェルヴェレッツ(The Velvelettes)、マーサ&ザ・ヴァンデラス、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン・ファイヴといったアーティストたちと契約を結んだ。
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