伝記
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伝記(でんき、英: biography)とは、個人の生涯の事績をかきつづったものもの[1]。広義には書き記された記録の総称だが、狭義には個人の事績の記録を指す。現代においては、狭義に使われることが多い。以下にそれぞれについて記す[1]。
語源である中国語(中期漢語)としての伝記については伝(儒教における伝記)の記事を参照。
伝記(記録・文書)
伝記(でんき、しるしぶみ)とは、記録や文書のこと。または、古来伝わる事柄の記録。伝説・伝承を書き記したもの。古伝、伝とも言い、『烏丸鮮卑東夷伝』、『魏志倭人伝』のように記される。
「しるしぶみ」と読む場合、「文史(文学と史学のこと)」とも書く。
伝記(個人の事績の記録)
伝記とは、前項のうち記録対象を個人に限定したもので、記録する行為自体も指す。ある特定の人物の生涯を、時間に沿って記述しながら、対象となる人間の性格や業績などをたどるもの。こちらも伝と略されることがあり、『○○(人物名)伝』のように記される。筆者が自身について書いたものは、特に自伝(自叙伝)という。
歴史的には、時代により、そのパターンや表現方法に大きな差が見られる。
中世ヨーロッパにおける聖人の物語や、罪人の物語なども広く伝記のルーツとして認められてはいるが、これらは道徳的要素が強く、現在的な意味で言う伝記とは趣を異なるものとしている。
中国の『史記』の中に「列伝」が設けられて歴代の紀伝体正史に引き継がれ、中国や古代日本において漢文による伝記が書かれた。日本におけるものは、後世の仮名交じり文による伝記と区別して特に漢文伝と呼ぶ。
伝記の性質・意義は、時代の流れで変化し、特に20世紀の心理学の発展は、伝記のあり方に大きな影響を与えた。
教育面からの伝記を学ぶ意義
日本でも、授業の一環で国語、英語、日本史などの科目で取り上げている。
教科書に掲載する意義は、まず児童や生徒たちに伝記で取り上げた人物たちと「友だちになってほしい」、やがて授業を進めて「教育的な観点で接し学んでほしい」となる。例えば、カトリック教会・学校では、イエス・キリストや聖人たちの業績・足跡を学んでいる。
また、日本における初等教育においては、修身(第二次世界大戦の敗戦まで)の授業科目があり、多くの偉人伝記を学ぶ機会があり、特に重い荷物を背負った二宮金次郎の銅像は、校庭の隅などに設置されていた。金次郎の銅像を目にする児童たちに人となりを見習い、勤勉で向上心のある人物になってほしいという意図があったとされる。
学校教育以外の一般図書でも小中学生向けに児童伝記シリーズ・伝記シリーズ・子どもの伝記全集などが販売された。
子どもを対象とした伝記シリーズの出版について
小学校教諭の矢野四年生は、1979年刊行の『学校図書館(特集——伝記とは何か)』(全国学校図書館協議会の機関誌)への寄稿のなかで、子どもを対象とした伝記シリーズの出版について、『子どもの本棚』(日本子どもの本研究会編、明治図書刊)を引用して、被伝者選びの安易さ、書き手の問題、内容の問題、フィクションを用いることの問題などを指摘している[2]。
関連語句
- 本伝
- 主となる伝記(記録や伝)のこと。外伝が存在する伝記に対して用いる。
- 本伝に対して主たる部分や要点については不足するが、その補助となるような記録や注釈のこと。転じて、本伝において主たる部分ではない、何れかの部分に焦点を当てた記録や文書を指す。
- 紀伝体(列伝・本紀ほか)
- 偉人伝
- 立志伝
- 将来の目標を掲げ志を立て、様々な困難、激動を乗り越え成功し功成り名遂げた人間の生涯、半生を描いた伝記。
- 評伝
- 人物評をまじえた伝記。知人による回想・追悼出版もある。
脚注
参考文献
関連項目
- 名士小伝 - ジョン・オーブリーの著作。
- シャーロック・ホームズシリーズ - ジョン・H・ワトスンによるシャーロック・ホームズの伝記という設定で書かれている。
外部リンク
バイオグラフィ
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1981年10月、テニスを断念したラーズ・ウルリッヒがジェイムズ・ヘットフィールドを誘う形でメタリカが結成される。 1982年、アメリカのインディーズ・ヘヴィメタル・レーベル「メタル・ブレイド・レコーズ」で製作されていたコンピレーションアルバムの第一弾『Metal Massacre 1 - (邦題:メタル・マサカー1) 』に提供するために「 Hit The Lights - (邦題:ヒット・ザ・ライツ)」をレコーディング、その直後にデイヴ・ムステインが加入する。6月、『Metal Massacre 1 - (邦題:メタル・マサカー1) 』がリリースされる。 数ヶ月後、オリジナル7曲入りのデモテープ『No Life 'Till Leather - (邦題:ノー・ライフ・ティル・レザー)』を制作する。 バンド内における他メンバーからの扱いや役割の不均衡が、ロン・マクガヴニーの脱退を引き起こし、バンドは新たなベーシストを探すこととなる。 12月、新ベーシストとしてクリフ・バートンが加入。 1983年2月にサンフランシスコに拠点を移す。4月にデイヴ・ムステインが解雇され、エクソダスのギタリストであったカーク・ハメットが加入する。これと前後して既に日本でデビューしていたLOUDNESSの高崎晃へ、メタリカ側のスタッフから加入のオファーがあったことが後に明らかになった。 7月にインディーズ・レーベル、メガフォースよりアルバム『 Kill 'em All - (邦題:血染めの鉄槌(キル・エム・オール))』でデビュー。 1984年初頭、ヴェノムのサポートとしてヨーロッパツアーを行う。6月に2ndアルバム『 Ride the Lightning - (邦題:ライド・ザ・ライトニング -) 』発表、年末より大規模な欧米ツアーを敢行。メジャー・レーベルエレクトラとの契約を獲得し、Qプライムとマネージメント契約を締結。 1985年8月、イギリス・ドニントンパークで開催されたモンスターズ・オブ・ロックに出演。 1986年3月、3rdアルバム『Master of Puppets - (メタル・マスター )』発表(メジャーデビュー)、ビルボード29位にランクイン。50万枚以上の売り上げを記録し、メタリカ初のゴールド・ディスクを獲得する。ダメージ・インク・ツアーでヨーロッパ巡業中の9月27日、スウェーデンでメンバーの乗ったバスのスリップ事故により、ベーシストのクリフ・バートンがバスの下敷きになり死亡。9月27日以降のツアーを急遽キャンセルしたメンバーは翌28日にアメリカに帰国、10月7日の葬儀参列後、後任ベーシストのオーディションを行い、元フロットサム・アンド・ジェットサムのジェイソン・ニューステッドがメタリカに迎えられる。 1987年8月、メタリカに影響を与えたバンドのカヴァー曲をレコーディングした『The $5.98 E.P. Garage Days Re-Revisited - (邦題:メタル・ガレージ - )』(EP)を発表。一時期は入手困難のため、かなりの高額で取引されていたが、2018年にはオリジナル・フォーマットに準拠したリマスター盤が発売された。 1988年9月、4thアルバム『...And Justice for All (邦題:メタル・ジャスティス - ) 』発表。「One」を収録し、映画『ジョニーは戦場へ行った』とのコラボレーションとなった初のミュージック・ビデオも発売され、アルバム プロモーションツアーでは、CDジャケットの石像が崩れ落ちる大仕掛けなセットであった。 1989年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門に「One」がノミネート。 1990年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門で「One」が受賞。グラミー賞授賞式においては、フォーマルスーツの慣例を無視して自然体のジーンズ姿で登場した。10月より、アルバム制作にとりかかる。 1991年8月、スラッシュメタルから完全に脱却した5thアルバム『Metallica - (邦題:メタリカ) 』(通称 Black Album (ブラック・アルバム))を発表。全米初登場1位を4週連続獲得し、全世界で2000万枚を超える大ヒットを飛ばす。3年に亘る長期間のワールドツアーを終えた後、暫く休養期間に入る。 1992年8月8日、ジェイムズが、ガンズ・アンド・ローゼズとのスタジアムツアーでのメタリカのステージで、"Fade to Black"のオープニングにおいてパイロテクニクスの事故が発生し、腕や顔などにII〜III度の大やけどを負う。事故後わずか17日でステージへと戻り、その後4週間、ライヴではジェイムズがヴォーカルのみを担当し、リズム・ギターをメタル・チャーチのギタリスト、ジョン・マーシャルが代行した。 1996年6月、6thアルバム『Load』を発売し、全英・全米1位を記録。爆発的な売り上げを見せるも、正統的なヘヴィメタル要素が大幅に減退した内容は賛否両論を巻き起こした。 1997年11月、7thアルバム『Reload』発表、全米1位を獲得するものの、2作続けてのこの路線にスレイヤーは「メタリカは死んだ」と発言。ただし、収録曲のほとんどが『Load』のアウトテイクであり、実際は2枚組で発売する案もあった。 1998年11月、カヴァー曲を集めたアルバム『Garage Inc. - (邦題:ガレージ・インク) 』発表。 1999年11月、メタリカ本拠地のオーケストラ、サンフランシスコ交響楽団との競演ライヴアルバム『 S&M - (邦題:シンフォニー&メタリカ)』発表。 2000年4月、ナップスターを相手取り、著作権侵害、デジタル音楽ソフトの違法使用及び不正組織防止条例の違反で訴えを起こす。 2001年1月、ジェイソン・ニューステッドが脱退。 2003年2月、新ベーシストとして元スイサイダル・テンデンシーズ〜オジー・オズボーンバンドのロバート・トゥルージロが加入6月、8thアルバム『St. Anger - (邦題:セイント・アンガー』発表。来日公演ではツアー前にキャンセル誤報があったものの、大成功を収めた。ロバートがオーディションにより加入したのは、このアルバムがほぼ完成した後であり、MTVアイコン・アワード(英語版)を受賞する際に加入が公表された。このアルバムでベースを弾いているのは、90年代からのプロデューサーであるボブ・ロックである。 2004年、8thアルバム『St. Anger』が完成するまでの3年間に密着した(1600時間もの膨大なテープを編集した)映画『Some Kind of Monster -(邦題:メタリカ:真実の瞬間- )』が製作され、日本では2005年7月より限られた劇場でのみ上映された。 2006年8月、千葉と大阪で行なわれたサマー・ソニック'06へ参加。アルバム『Master of Puppets』の発表から20周年を迎えるこの年を記念して、アルバム全曲を曲順通りに演奏した。演奏終了時にヴォーカルのジェイムズ・ヘットフィールドは「Master Of Puppets! Happy 20 years anniversary!」と咆哮、モニタ画面には故クリフ・バートンの遺影が映しだされた。 2006年12月、1989年から2004年までの間にリリースされた21曲のPVを収録したDVD、「ザ・ビデオズ 1989-2004」を発表。ビルボードビデオチャート3位を獲得。 2008年9月、9thアルバム 「Death Magnetic - (邦題:デス・マグネティック )」発表。プロデューサーには、前作までのボブ・ロックからリック・ルービンに代わり、制作された。世界25ヶ国でアルバムチャート1位、オリコン初登場3位を獲得。 2009年4月4日、オハイオ州クリーブランドでの授賞式にてロックの殿堂入りを果たした。スピーチは、ライブにゲスト出演するなどの親交を持つレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーが務めた。ライブでは、ジェイソンも参加して「Master of Puppets」「Enter Sandman」の2曲が演奏された。さらに初代ベーシストであるロン・マクガヴニーと、クリフ・バートンの両親、その他メンバーの親族150人も授賞式に出向いた。元メンバーのデイヴ・ムステインは、メガデスとジューダス・プリーストとのヨーロッパ・ツアーで参加できなかったが、受賞を祝福する声明が発表された。 2010年9月25日・26日に、さいたまスーパーアリーナにて4年ぶりの来日公演を行う。 2011年10月、ルー・リードとのコラボレーションアルバム「Lulu」発表。 2013年12月8日、米コカ・コーラ・ゼロのスポンサーの下、南極大陸(キングジョージ島)公演を行う。翌2014年に、「1年で、7大陸全てでコンサートを行った唯一のバンド」として、ギネス世界記録に認定された。 2014年1月、グラミー賞で中国のピアニスト、ラン・ランと最優秀ハード・ロック/メタル・パフォーマンス賞にノミネートされていたサウンドトラック・アルバム『Metallica Through The Never - (邦題:メタリカ・スルー・ザ・ネヴァー)』から「One」を演奏。メタリカがグラミー賞で演奏するのは、生中継が初めて行われた1991年以来23年振りとなる。 2016年3月23日、3rdアルバム『Master of Puppets』が、アメリカ議会図書館が「文化的、歴史的、芸術的に重要な録音物を保存すること」を目的に2000年から毎年行っている『国家保存重要録音登録制度(英語版)』の2016年度作品に登録された。ヘヴィメタルの作品としては初の登録となる。11月、10thアルバム『Hardwired... to Self-Destruct - (邦題:ハードワイアード…トゥ・セルフディストラクト -)』を発表。全米チャート1位を獲得。 2019年8月14日、ルーマニア初となる小児がん専門病院の設立を目的とし、ルーマニアの医療インフラの整備を行っている団体「Daruieste Viata Association」へ25万ユーロ(約3,000万円)を寄付した。
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