批判者たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/12 04:21 UTC 版)
彼の批判者として、「生涯」の項にあげたククリット・プラーモートが挙げられる。すなわち、プッタタートの説く「空」の達成によって、社会や国家に対する関心を人々が失うことは、国家の安全にとって脅威であるという批判である。これに対しプッタタートは、人々が「空」に達するなら、自己中心主義による混乱を取り除くことになり、社会的達成はより効果的に遂げられる、とこたえた。 また、伝統的なタイの僧侶であるプラ・ティップパリンヤーは、『ヒマラヤの爆発』という本の中で、プッタタートの教えは、ブッダに対する尊敬を失わせ、その教えに従わないよう、人々を導こうとするものである、と批判した。それは、プッタタートが法話の中で、三宝(仏・法・僧)は涅槃への到達を妨げるヒマラヤのようなものであるとし、また、「一切智」の意味を「ブッダがすべてを知っていること」ではないとしたことに対してのものであった。彼はサンガの大長老会議に、プッタタートを審議すべきであるという提案も行ったが、会議メンバーでは法話の内容に理解を示し、それ以上問題になることはなかった。 後者の例からも明らかなように、プッタタートが伝統的な教理に批判を加えても、サンガから追放などの目に遭わなかったのは、サンガや政府の上層部(「猊下」と呼ばれる最高位のクラスの僧侶たち、そして首相や高等裁判所長官クラスの政治家たち)に、プッタタートの支持者が存在したからである。加えて彼は、既存の経典解釈を改めるよう、サンガに働きかけるなどの仏教改革運動を行なわず、また、さまざまな批判に対して強く反論する態度をとらなかったことも挙げられよう。さらにタイのサンガの無思想的体質もその一因として指摘されている。
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