イーゼンハイム祭壇画とは? わかりやすく解説

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イーゼンハイムさいだんが〔‐サイダングワ〕【イーゼンハイム祭壇画】

読み方:いーぜんはいむさいだんが

原題、(ドイツ)Isenheimer Altarグリューネワルト絵画。板に油彩中央パネル大きさは縦269センチ、横307センチアルザス地方のイーゼンハイムにある修道院礼拝堂祭壇画として制作キリストの磔刑描いている。コルマル、ウンターリンデン美術館所蔵


イーゼンハイム祭壇画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 04:28 UTC 版)

イーゼンハイム祭壇画』(イーゼンハイムさいだんが、: Isenheimer Altar: Retable d'Issenheim: Isenheim Altarpiece)は、ドイツルネサンス期の彫刻家ニコラウス・ハーゲナウアー英語版と画家マティアス・グリューネヴァルトが1512-1516年に制作した祭壇画である[1][2]フランスコルマールにあるウンターリンデン美術館英語版に展示されている[2][3]


  1. ^ a b c d e f g h 『美はアルプスを越えて』, p. 41-43
  2. ^ a b c d The altarpiece of Issenheim”. ウンターリンデン美術館公式サイト (英語). 2023年8月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 『週刊 世界の美術館 No.51』, p. 24-25。
  4. ^ a b 『美はアルプスを越えて』, p. 50-52
  5. ^ Cabello, Felipe (2018). “El retablo de Isenheim: religión, arte y medicina”. Revista Médica de Chile 146 (9): 1050–1058. doi:10.4067/s0034-98872018000901050. ISSN 0034-9887. PMID 30725027. 
  6. ^ a b c d e Isenheim Altarpiece closed”. ウンターリンデン美術館公式サイト (英語). 2023年8月9日閲覧。
  7. ^ "Christology. Jesus in the visual arts. Painting and sculpture. The Middle Ages through the 19th century". Encyclopædia Britannica.
  8. ^ John 3:30
  9. ^ a b Isenheim Altarpiece, Outer wings opened”. ウンターリンデン美術館公式サイト (英語). 2023年8月9日閲覧。
  10. ^ a b Isenheim Altarpiece, Inner wings opened”. ウンターリンデン美術館公式サイト (英語). 2023年8月9日閲覧。
  11. ^ a b Stieglitz, Ann (1989). “The Reproduction of Agony: Toward a Reception-History of Grünewald's Isenheim Altar after the First World War”. Oxford Art Journal (Oxford University Press) 12 (2): 87–103. doi:10.1093/oxartj/12.2.87. JSTOR 1360358. 
  12. ^ Flavell, M. Kay (1988). George Grosz. A Biography. New Haven: Yale University Press. ISBN 978-0-300-04145-3 [要ページ番号]
  13. ^ McCouat. “The Isenheim Altarpiece Pt 2: Nationalism, Nazism and Degeneracy”. 2023年8月9日閲覧。
  14. ^ Stephanie Barron, "1937: Modern Art and Politics in Prewar Germany", in Degenerate Art: The Fate of the Avant-Garde in Nazi Germany, Harry A Abrams/Los Angeles County Museum of Art, New York, 1991[要ページ番号]
  15. ^ Musée Unterlinden | the Isenheim altarpiece”. 2014年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月26日閲覧。[要文献特定詳細情報]
  16. ^ Restoration of the Isenheim Altarpiece, Whitehot Magazine of Contemporary Art, July 2022. Retrieved 15 July 2023


「イーゼンハイム祭壇画」の続きの解説一覧

イーゼンハイム祭壇画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 04:56 UTC 版)

マティアス・グリューネヴァルト」の記事における「イーゼンハイム祭壇画」の解説

グリューネヴァルト代表作であるイーゼンハイム祭壇画は、フランスとドイツ国境位置するアルザス地方(現フランス)のコルマールにあるウンターリンデン美術館収蔵されているが、元はコルマール南方20kmほどに位置するイーゼンハイムにあった。この作品は、イーゼンハイムの聖アントニウス修道院付属施療院礼拝堂にあったものであり、修道会守護聖人聖アントニウス木像安置する彩色木彫祭壇である。制作1511年1515年頃。 祭壇は扉の表裏に絵が描かれ、扉の奥には聖アントニウス木像安置されている。扉を閉じた状態の時は、中央左右パネル、それにプレデッラ4つ画面見える。中央パネル凄惨な描写知られるキリスト磔刑たっけい)像である。聖アントニウス修道院付属施療院では、平日にはこの画面公開されていたので、これを「平日面」または「第1面」という。観音開きの扉になっている中央パネル左右に開くと「キリスト降誕」を中心にした別の絵画現れる。この場面修道院日曜日にのみ公開されたもので、「日曜面」または「第2面」という。この「日曜面」の扉をさらに開くと、中央には聖アントニウス木像安置した厨子(ずし)があり、左右に別の絵画パネル現れる。この画面第3面)は、聖アントニウス祭日のみに公開されたものである(以上の説明は、修道院安置されていた時のオリジナルの状態を説明したもので、ウンターリンデン美術館では展示都合上第1面第2面第3面別個に展示している)。 第1面中央パネル十字架上のキリスト左右に聖母マリアマグダラのマリア使徒ヨハネ洗礼者ヨハネなどを配したもの。左パネルには聖セバスティアヌス、右パネルには聖アントニウスの像を表しプレデッラにはピエタを表す。聖セバスティアヌスペスト患者守護神であり、聖アントニウスは「聖アントニウスの火」というライ麦から発生する病気患者守護神である。第2面中央パネルに「キリスト降誕」、左パネルに「受胎告知」、右パネルに「キリストの復活」を描く。第3面は左に「聖アントニウス聖パウロ訪問」右に「聖アントニウスの誘惑」を描く。これらの絵に挟まれ中央聖者彫像安置する厨子になっており、中央聖アントニウス座像向かって左聖アウグスティヌス立像、右に聖ヒエロニムス立像がある。これら厨子内の木像はニコラス・フォン・ハーゲナウ(1445頃 - 1538)の作である(プレデッラにはキリスト十二使徒彫像があるが、この部分作者異なる)。 第1面中央パネル描かれ十字架上のキリスト像は、キリスト肉体理想化施さない凄惨生々しい描写特色である。十字架上のキリスト肉体はやせ衰え、首をがっくりうなだれ苦痛指先ひきつっている。この祭壇画前述のように、聖アントニウス修道院付属施療院にあったもので、この施療院は「聖アントニウスの火」という病気患者救済主要な任務としていた。「聖アントニウスの火」とは、医学的に麦角ばっかく中毒呼ばれるもので、患者が自らの苦痛十字架上のキリスト苦痛感じ救済を得るために、このような凄惨な磔刑像描かれと言われるドイツ生まれイギリス後半生過ごした作家W・G・ゼーバルト (Winfried Georg Sebald、1944年5月18日 - 2001年12月14日)は、『移民たち-四つ長い物語』、第4話「マックス・アウラッハ」において、かつて産業革命発祥地として繁栄したマンチェスター廃屋となった建物アトリエで、ひたすら画作没頭する画家描いている。ミュンヘン出身ユダヤ人で、ホローコーストを逃れてイギリス移住した画家は、アトリエでは同じ肖像デッサンかかりっきりであったが、一度だけ外国への旅に向かう。こうして彼は長年の夢を叶えるべくコルマール訪れる。彼は「グリューネヴァルト祭壇画にむかい、かじりつくように眺めはじめ」、グリューネヴァルトヴィジョンが、自分には「根っこ相通じるものがあるのです。前景人物から発せられるそら恐ろしいまでの苦悩世界全体覆っていて、そしてそれが暗黒背景から波のように打ち返し死んだ人の像めがけて押し寄せてくる。その凄まじさが胸のなかであたかも海潮のように満ち引きしました」と感じ、「苦痛極限まで達すると、それを感じ条件である意識消してしまう、そしておそらくは苦痛そのものをも抹消するではないか」と考えている。

※この「イーゼンハイム祭壇画」の解説は、「マティアス・グリューネヴァルト」の解説の一部です。
「イーゼンハイム祭壇画」を含む「マティアス・グリューネヴァルト」の記事については、「マティアス・グリューネヴァルト」の概要を参照ください。

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