三進の技術史
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1964年(昭和39年)11月にシャーリング加工や鋼材販売の「三進金属工業」が創業した(大阪市西区梅南南通り3丁目)。 1965年、東住吉区桑津に工場を移し、スチール棚板製造を開始。加工の注文を受けて作る下請けの仕事が主であった。 1967年、東住吉区から西成区南津守に150坪の工場を新設移転した。これが第一工事である。この時に組織を改組し法人化したことで、現在の三進金属工業が誕生した。 この第一工場には、棚板製造の省力化を図る「棚板プレスライン」が導入された。重い材料を扱うには腕力がいるので、力のいる工程には相撲取りあがりの人達を採用して対応した。 1970年、シャーリングを専門に行う第二工場を新設した。 1972年に第三工場を新設、「スチール棚板製造自動ライン(第1号自動ライン)」を自社開発した。今でこそオートメーション化は当たり前だが、当時は自動化という発想自体が珍しかったという。 オイルショックの危機を乗り越え、1974年、創業10年間にして売上10億円を達成した。こうして三進は棚板の製造を主な事業とする会社として、棚板の三進金属工業、棚板のプライスリーダーとしての礎を築いた。 1977年、第三工場に「自動ライン2号」が完成し、本格的な量産体制が完成した。自動化によるコストダウン、さらに棚板の四隅の強度が不足する所を、数ミリ絞って厚みを持たせ、2~300回の試行錯誤を経て強度を上げる事に成功した。 1980年、生産の合理化を図る為分散していた工場を忠岡町へ移転統合し、現在の本社工場を新設した。メーカーとしてJIS規格工場となる為、1983年同地に総合配送センターと塗装ライン第一号を導入した。又同年に開発設計部が設置された。 技術的に高度な製品が求められるようになり、組織としての体制を整える必要が生じ、別会社の販売拠点を販売会社としてグループ化したことで営業体制も整えた結果、ものづくりのみでない製販一体の全国的なメーカーとして新たなスタートを切った。 後に販社は17社に増え、北は北海道から南は九州沖縄まで全国規模に販社が展開し、お客様から依頼されれば、即時訪問できる体制となった。 1982年、中量棚板を発表した。この棚板の形状において、「袋カマチ」を開発。それにより、棚板のライバル会社が10社ほどあったなかで、三進が実用新案をおさえ、一歩リードすることとなった。 1985年には、図書館用の複柱式書架、手動式移動ラック、ボトルレス中量ラック、重量ラック、形鋼中二階など、スペースコントロールを掲げ、お客様のニーズに応え部品から完成品までの全てを開発・供給し、ラックの総合メーカーとして物流業界を中心に製品を拡大していった。 特に、1989年に開発した電動式移動ラックは、三進の電気関係の製品としては初の製品であったが、その第一号が現在でも現役で稼働している。 バブル景気の中、1989年福島県郡山に工場を新設。生産体制が強化され、1991年に売上100億円を達成した。また、駐車場のフロア材の新たな開発に中二階の技術を生かして駐車場の建築にも挑戦した。 1994年、次々に新しい製品を開発していく中で、加工の機械化に成功し、品質の向上と製品開発における設計やデザインを根本的に変える事となった。また、こうした加工の機械化とほぼ同時に、設計や営業システムにおいても機械化が進められた。社内情報システム導入により、在庫などを正確に把握することを可能にした。会社の体制としては、1994年に開発部内に情報システム課が設置され、1997年CADの導入により図面の合理化と短納期・即日体制が強化。インターネットの時代になり、HPを開設した。 ハードからソフトへ新しい業界への挑戦 三進は、物流情報システムにも本格的に取り組み、1994年ピッキングシステムを開発した。商品をバーコードで読み取るとラックの表示器に個数が表示されるシステムは、某大手コンビニストアに納入され、作業効率を格段にアップした。今や常識となったハードとソフトが連動する製品の先駆けとなった。この流れは現在まで続いており、現在ソフト開発に大きな力をいれて、様々な物流関係ソフトを開発・販売している。 三進ブランドの確立 2003年接着剤を使用しない実験台天板(ボンドフリー天板)の開発に成功、実験設備として高い評価を得て、三進の事業の大きな柱の一つとして成長した。空間の有効活用の観点で製品とシステムを供給してきた三進は、2004年3つのプロダクトブランドを確立させた。「HARDY RACK」「HARDY STR」「HARDY LAB(現HARDY SCIENCE)」である。 そして、2004年、創業40周年を迎えたこの年に、新井正準は社長職を退き会長となり、新井宏昌が社長に就任した。 三進の製品開発は、2008年植物工場へのラック提供へと拡がった。三進の幅広い技術は植物工場に興味を持つ企業や大学に大きな話題を呼び、大阪府立大学の植物工場コンソーシアムにおいて重要な役割を果たすようになった。2011年には大阪大学とラボの安全に関する共同研究が始まった。
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