疑義
物事の内容について疑わしい点、意味するところが明瞭でなく疑問に思われる点、内容のはっきりしない部分、といった意味で用いられる表現。「疑義が生じる」「疑義がある」あるいは「疑義の念」「疑義の念を抱く」といった言い回しで用いられることが多い。
情報の中に疑義が見出された場合に当該の情報の発信元へ確認を取ることは「疑義照会」と呼ばれることがある。
疑義の語は「疑義申し立て」「疑義を申し立てる」あるいは「疑義あり」といった言い回しで用いられる場合もある。「疑義申し立て」は「異議申し立て」と混同されやすいが、決して誤用というわけではなく、「不明点がある旨を(行政機関などに)意思表示する」という意味で用いられることがある。
疑義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 09:54 UTC 版)
ギネスブック公認があったため、日本国内では泉が120歳まで生存したことは事実である、という受け止め方が一般的であった。これは、1871年の戸籍調査に記載されている生年月日が正しく、かつ、この戸籍調査に記載された人物と1986年に死去した人物とが同一であることを前提とする。だが、明治時代の徳之島の戸籍の信頼性には疑問があり、泉が1865年生まれであったことについては生前から複数の異論があった。 1966年(昭和41年)、泉重千代が満101歳とされた時、地元の鹿児島大学医学部助教授(当時)の福田正臣(1919年 - 2012年)は高齢者診察を行い、泉に対して「100歳を過ぎても胃腸はすこぶる順調。歯がなくなったものの普通にご飯やおかずを食べる、目も耳も達者である」という診察結果を発表。しかし福田は老齢学の観点から泉の年齢について疑念を持ち、1979年(昭和54年)の日本老年医学会で泉の世界最高年齢生存記録について否定の見解を述べた。 ギネスブックによって泉が世界最高齢と認定されて以降、「実際には泉が生まれたのはもっと遅いのではないか」といった意見が週刊誌などにも取り上げられた。 『週刊読売』の1980年12月7日号は、「泉重千代さんの115歳説に疑問がある!」と題して、泉重千代の戸籍の記録について信憑性が薄い根拠として以下を指摘した。 泉重千代の戸籍に実父母の記載がない。 戸籍の記録では、14歳以下の養父から7歳の泉重千代が家督を相続したことになっている。 そのため、「徳之島には、過去帳や寺請制度の前提となる寺が存在しなかったために生年に記録された証拠文書がなく、初めて戸籍が作成されたときに記録された戸籍は自己申告であり信頼性が薄かったのではないか」「1865年というのは早世した兄の生年であり、実際の泉は1880年前後の生まれであるが、兄の生年月日が使われていたのではないか」「泉家の実子であった泉重千代が死去した後、入籍した養子が泉重千代を名乗っていたのではないか」といった説が指摘された。1872年の壬申戸籍に泉重千代の記録があることから、泉が1880年前後に生まれたとするのは矛盾になるが、この点について『週刊読売』は、「徳之島が離島であるため、戸籍作成が遅れたのではないか」と述べている。 『週刊読売』はその後も、1984年12月2日号では「スクープ 泉重千代さんは104歳だった!ギネス『世界一』(119歳)返上へ」といったタイトルの記事を掲載したり、1986年3月9日号では「世界一の長寿 故・泉重千代さんの『120歳』に疑義あり 泉重千代は2人いたのか?」と泉の死亡時に報じるなどした。 このように、事情を知る専門家の間では泉の120歳説は疑問視されており、現在は専門家の間では105歳が通説となっている 。厚生労働省も2020年の時点で、泉の120歳説を公認していない。
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疑義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:05 UTC 版)
2015年、結婚記録などの新資料が判明して以降、以下の疑問点が挙がった。 前述の1880年の国勢調査はマレンゴ郡であり、しかも「ルーシー」の祖父母の記録は有るが、両親の記録は無い 一方、ルーシー・ハンナの出身地であるエルモア郡における同年の国勢調査には、ソルおよびサリー・テレル(「Terrill」と誤記)夫妻、並びに3人の子供の記録が存在するが、「ルーシー」の名前は無い故に、マレンゴ郡の「ルーシー・テレル」は同姓同名の別人と考えられる 1930年の国勢調査では、ルーシー・ブラウン(最初の夫の姓)は36歳と記録されている 1943年のオハイオ州の結婚記録では、ルーシー・ブラウンは1895年8月12日生まれと記載されている 2020年12月、GRG理事のロバート・ヤングおよび同管理者のヴァツワフ・ヤン・クロチェクによって、ルーシー・ハンナの117歳没の認定が取り下げられた。これにより、同年末時点でのアメリカ史上2番目の長寿者はスザンナ・マシャット・ジョーンズ、黒人の歴代最長寿者はヴァイオレット・ブラウン、世界最高齢になれなかった人物の史上最高齢は猪飼たねとなった。
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