戸籍の記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 09:54 UTC 版)
泉の父親の生年月日とその両親の名前も不明。泉と同一の戸籍に登録されている伯父と泉との年齢差は8歳だった。泉は父親から7歳で家督を相続して戸主となっている。泉は両親が何歳で亡くなったかは知らないと言うが、両親の名前は知っていた。 1901年、それまで30年間戸籍上で泉の実父とされていた人物が、裁判により養父と記載が変更される。 伊仙町の資料や事情を知る人の間では1904年に戸籍上の年齢39歳で17歳年下の女性と結婚したとされるが、戸籍上の届け出ではその19年後の1923年となっており、泉の戸籍上の年齢では54歳だった。長男の出生届は婚姻届けの4日後となっている。当時の徳之島の結婚適齢期は18歳くらいで晩婚だった。 1897年に死去していた伯父の死亡届が26年後の1923年(重千代の婚姻届と同年)に届け出された。届け出人は戸主の泉重千代だが、最初は泉千代善と書いてあったのを棒線で打ち消して、泉重千代と記入していた。 これらの不自然な点について質問されると、生前の泉重千代は「忘れた」と言い、泉の世話をしていた亡妻の妹がこのことを人に話すのも嫌がっていたという。 2010年に高齢者の死亡届が出されずに戸籍上は生きたままになっている高齢者所在不明問題が発生した際、『朝日新聞』が泉重千代について伊仙町に取材した。伊仙町の担当者は、「戸籍に記録があることと、本人が主張している以上はそれを否定することは難しい」とし、「138年前の泉の戸籍の登録経緯については調べようがない」と答えている。
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